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20170503 ジャニーズJr.祭りに行って来た話

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先日、ジャニーズJr.祭りにお邪魔してきた。普段のご贔屓筋は、関西なので現場で初めて見る関東の面々に戦々恐々としつつ通い慣れた大阪城ホールへ。開演前、レポで関西ジャニーズJr.の重鎮、あの世界の浜中文一さんが出演ということに、まず錯乱。スーパーレアキャラすぎる文一さんがいるこの時点で、ジャニーズJr.祭りは完全に勝利だった。開演すると最早安定の楽しい!みんな凄い!生きてて良かった!ジャニーズ最高!精神発動。楽しくないわけがない。数年前まで同じグループにいたメンバーと再び共に同じステージに立ち、より一層輝きを放ちパフォーマンスする姿を見て親戚の叔母さんみたく「あ〜!みんな大きくなったね。良かったね ;  ; 」とひとりしみじみ感動していた。青春は、戻らないらしいけど、記憶と記録には確実に残っているんだな。感慨深くご贔屓筋の関西勢を見ていると衝撃が走る。SixTONESTravis Japanの両グループだった。ここに文字を連ねる前にジャニーズJr.祭り直後のわたしのツイートを見てほしい。

この興奮具合である。胸の高鳴りが他とは違った。両グループ共、そこに向かって進んでいる具合が群を抜けていて、ギラギラ、ガツガツしていて、ハングリー精神を剥き出しにしている感じがたまらなかった。そして何よりパフォーマンスが至高だった。頭から足の先までビシッと揃えられたダンス、高い歌唱力、マイクを握らせ、口を開けば喋りもできる、先輩達の楽曲を自分達の楽曲に変える力も持っている。久しぶりに惚れ惚れした。デビューするとギラギラとかガツガツとかハングリー精神とか少なからず失われるじゃないですか?(※あくまで個人的感想です)それが、彼らを一層眩しくさせているように見えた。それに、メンバーが、個人、個人がどう見えるかより、グループとしてどう見えることが最善なのかを考えて行動してる感じがとても良かった。それが更に、パフォーマンスの完成度をグッとあげていた気がする。久々にそれを目の前で見せつけられ、懐にデカイ傷を作られてしまった。お前ら、俺らにちゃんとついてくるよな?拒否権ないけどな?(鋭い眼差し)感が、たまらなかった。その後のわたしは言うまでもなく、某動画サイトで両グループの動画を漁り両グループの情報を収集する日々である。(突然だけれど)しかしながら、わたしの推しは、あくまで、ジャニーズWEST重岡大毅であり、これは揺らぐ事はないのだ。こんな記事を書きながら、両グループが推しになる予定は、今のところない。けれど、SixTONESTravis Japan、両グループがこれからどんなパフォーマンスを魅せてくれるのかをとても楽しみにしている。

ジャニーズJr.祭り以来、ずっと聴いている。ぜひ、Clip boxで落として、あなたも魅了されてほしい。

 

 

 

キミの言葉は、魔法だ。

わたしが推してるアイドル、ジャニーズWEST重岡大毅から発せられる言葉は、強く、逞しく、ある時はそっと背中を押してくれ、またある時は、涙が出るほど面白く笑わせてくれる。曇り空を一転して晴れにしてくれる魔法だ。彼には、人を魅了する天性の才能がある。そう断言できる。

友達と軽いノリのつもりで履歴書を送った事がきっかけで、2006年10月8日、ジャニーズ事務所に入所。中山優馬重岡大毅神山智洋藤井流星小瀧望竹本慎平新垣佑斗の7人で、のちの「7WEST」が結成される。この7人でデビューを目指し切磋琢磨していたが、中山優馬はNYCとしてデビューする事となり7WESTを脱退。2006年8月19日、6人での再出発となる。舞台、ドラマ、雑誌、媒体に出る機会も増え、順風満帆かに思われた2012年。再びあの悪夢が起こる。竹本慎平新垣佑斗、2人の脱退だ。誰が悪いわけでもなかった。人生は、一度きりだ。それは、人に平等に与えられた権利でもある。自分がなりたいように、生きたいように、選択する権利がある。彼らは、その権利に沿って選択したのだ。そこから、重岡大毅神山智洋小瀧望藤井流星の4人となりデビューを目指し、より一層絆を深め、B.A.D.、濵田崇裕、Kin Kan、なにわ皇子と共に関西ジャニーズjr.を引っ張っていく事となる。そして、2014年1月1日、誰もが想像もしていなかった発表へと繋がっていくのだが、この話はまたの機会にするとしよう。

さて、前置きが長くなったが、様々な困難や葛藤をひとつひとつ乗り越えてきたからこそ、重岡大毅から発せられる言葉は響くのだろう。そんな彼の名言(迷言)を独断と偏見でここに記しておくとする。

 

  •  大丈夫、会えない時間が愛を増す。

2010年12月26日 男前を目指せ!1時間SP 男前川柳 より

 

  • いつからかな?お前を好きになったのは。

2013年7月28日 もぎたて関ジュース 甘い言葉しりとり より

 

  • 夜やから寝ないとあかんのに、お前の事考えて寝られへんわ。
  • なんでやねん!お前が一番に決まってるやろ。
  • 夜更かしすんなよ、明日も早いこと会うからな。

2013年12月29日 もぎたて関ジュース 甘い言葉しりとり より

 

  • もっと近く来いよ、抱きつかれへんやろ。
  • ロミオは俺。ジュリエットは、お前だぜ?

2013年12月29日 もぎたて関ジュース ドSな言葉しりとり より

 

  • あの道を選んだら正解。あの道を選んだら不正解。そんなんちゃう。自分が信じた道を突き進んでいく。そうしたら希望の虹はかかる。未来は開けるんや。
  • もっと、努力して周りの人間を見返すぐらいなことをしてみろよ!
  • じゃあ、最後まで根性出して、立ち向かってみろ!

舞台 なにわ侍 ハロー TOKYO!! より

 

  • ほら、たまご越しのジャニーズちょっと見て。

2014年6月18日 ジャニ勉 今回のターゲット「放し飼いたまご」 より

 

  • 言ってたでしょ、メンバー内の恋愛は、禁止。

2014年6月29日 もぎたて関ジュース より

 

  • やっぱ時間気になるよな…もう電車もなくなってまうし…でも、俺は、関係ないわ、時間なんて。今夜は…絶対帰さんで。

2014年10月15日 リトルトーキョーライブ より

 

  • ジャニーズに入って、大袈裟に聞こえるかもしれないですけど、人生のすべてを学んだというか、いろんなことに気付かせてもらった。いろんなことって言葉じゃ足りないくらいたくさんのことを。
  • 7人でいることが当たり前になっている今が、やっぱ一番幸せなんだなって思うんです。

2014年12月22日 MYOJO2月号 10000字インタビュー より

 

  • 可愛い顔してホンマ…ゆっくりお休み。僕の眠り姫。

2014年12月30日 育ジャニ イイ男になる条件を学ぶ より

 

  • “現状維持”なんて言葉は、微塵も考えてへん。常に上を目指していかな!

ジャニーズWEST 1stコンサート「1発めぇぇぇぇぇぇぇ」パンフレット より

 

  • 愛してます、結婚して下さい。

2015年1月15日 もぎたて関ジュース より

 

  • 俺、その上を行ってるから。秘密系男子。
  • お前、俺の事好きやろ?俺も好きやで。付き合おう。

2015年1月25日 もぎたて関ジュース より

 

  •  ちゃうねん、なんか…そういうもんじゃないねん、好きっていうのは。

2015年2月13日 男前を目指せ! より

 

  •  過ぎ去る月日は、早く感じるものですな。大事に過ごしていきましょ。それでは、1ヶ月間、この1ヶ月間も大事にしていこうね。

2015年6月7日 もぎたて関ジュース より

 

  •  幾つになったら、チュウしてくれる?

2015年6月21日 もぎたて関ジュース より

 

  • 何?この賢くなりそうな匂い。
  • 結婚してくだちゃい。

2015年10月3日 モモコのOH!ソレ!み〜よ! より 

 

  • 意外と泣きがち。涙腺ガバガバやからな。
  • 弱い自分が顔出しちゃうんやね、分かる、分かる。

2015年10月12日 もぎたて関ジュース より

 

  •  (恋愛は)俺たちには、分かんないけどな。

2015年10月18日 もぎたて関ジュース より

 

  • ポジティブに、こう変換していくのが大事やと思うねんけど。
  • ネガティブな事は、遠ざける自分が。
  • やっぱそれも、色々試してみるのが、挑戦するのが大事やと思う。挑戦して、あっこれちゃうねんな。これって自分に合って無いなって分かったら、それはそれで一つ成長やん。これ私に合って無いんだなって学べたと一緒やから。(中略)それをただのミスと捉えないと言うか、あーこうしたら失敗するんだという道を一つ見つけたな。
  • 別に逃げる事が絶対に間違ってるわけじゃないって俺は思う。
  • いっぱい方法あると思うから、もがいた方が良いと思うね。たくさん色々やってみて、これじゃない、これじゃないかって前進する気持ちさえあれば、絶対乗り越えれると思うから、頑張って。

2015年11月7日 bayじゃないか より

 

  • 任せなさい!なんたって、俺がいるんだから。
  • 人生、勇気が大事!

2015年11月22日 もぎたて関ジュース より

 

  •  ただ、ただ、あの、キスがしたくなります。

2015年12月10日 遠藤淳のYou’ve Got a Radio! より

 

  • 気にしてたらこれから先ずっと気にしていかなあかんし、ファンが好きなの僕たち。

2016年3月5日 bayじゃないか より

 

  • 僕自身は、努力アピールとか好きじゃないんですよ。そういうのは、見せるもんやないと思ってますし、不言実行というのに憧れます。言う前にやろうやって。

2016年3月11日 CINEMA SQUARE vol.83 より

 

  • 人に相談しても、最終的には自分で決めることが大事だと思います。答えは自分の中にあると思うし。迷う時って、どっちも正解なんだと思うんですよ。選んだ方、正解にしたらいいんだと思います。
  • 失敗はあるけど、挫折とは思わないから。今、100%がんばれば、未来の自分が絶対引き上げてくれると思っています。

2016年3月11日 日本映画navi vol.62 より

 

  • 「頑張ってんだぜ」アピールが嫌い。ツラくてもそれは見せないほうがカッコいいと思うんで、有言実行より無言実行のほうが僕は好きですね。

2016年3月11日 Cinema☆Cinema No.62 より

 

  •  生きられます。家族のために!…って言いたい。そういう人生にしたいなって思います。いつか自分の家族ができたときに大事にできる自分でいられるよう、日々トレーニングです!(笑)自分に胸を張って生きたいですね。

2016年3月15日 QLAP 4月号より

 

  • 失敗を恐れるな!行動する、結果を出す。このサイクルを早くしていくことが、成功の近道。オレらもいま、どんどん新しいことをやらせてもらってるけど、失敗することもめっちゃ多い。でも、失敗から学ぶこともあるし、自分がベストを尽くしたことなら、反省はしても後悔にはならへん。ヘコんだときに引き上げてくれるのは、未来の自分やで。

2016年4月7日 duet5月号より

 

  • モテるやろ?こんな7色重ちゃん。中身も7色天使ちゃんやねんから。

2016年4月15日 男前を目指せ! より

 

  •  片想いしてるあのドキドキ感は嫌いでは無いな。確かに。

2016年5月14日 bayじゃないか より

 

  • 思った事しか言わないからね、俺ね。

 2016年7月17日 もぎたて関ジュース より

 

  •  そのあたりは分からへん。オレ、アイドルやから。アハハハ!素かどうかなんて、自分では分からへんわ~(笑)

2016年9月15日 QLAP!10月号 より

 

  • アイドルやけど、年をとったら年齢にあらがわずそのままで生きたいなって。俺、びしっと生きるのはムリやと思う。一生アホなことできる男でいたいですね。

2016年9月28日 with11月号 より

 

  •  ジャニーズのこの仕事の事しか考えてなかったからな。この10年、今もそうだけど。

2016年10月30日 もぎたて関ジュース より

 

  •  俺、引っ張っていくタイプやないし、自由にさせて欲しいかな。柔らかい言い方の人が好きやねん。俺、子供やから日替りで気分も違うし、面倒くさいと思うで。

2016年11月1日 STORY12月号 より

 

  •  だって、ネガティブになるの、一番簡単だから。ポジティブになる方が難しいじゃないですか。ポジティブな人の方が強いんだなと思ってから、そういう人に(あり方として)近づこうと。 そういう考え方に近づこうという姿勢ですね。 そこにゴールはないから、ずっと歩み続けてる感じです。
  •  いろんなこと、挑戦させてもらってるから、だからこそ、打ちのめされることばっかりで 歌手の人にはかなわない、役者さんにはかなわない、芸人さんにはかなわない、打たれる回数はめっちゃ多い、だからこそもう疲れたんでしょうね。 毎回毎回真剣に悩んでいると、しんどいですよ。イヤになりますよ。でも、その現実から逃げたいとは一切思わない。じゃ、どうしようか?楽しんでやっていけたらいいな!じゃ、どうやったら、楽しんでやっていけるかな?前に、前に、となってからは、楽しいですね。
  • めっちゃ視野が狭かった子どもの自分がいた。それがいたから、いま、何かができなくても、本当に全力でやりきったら、未来の自分が引き上げてくれるかなと。それは経験上わかってるんで。そこが力になってますよね。いま、どんなにダサくて、カッコ悪くても、未来の自分が絶対引き上げてくれるから。そう思えるから、もっともっと上に行けるなと思います。

2016年11月5日 キネマ旬報2016年11月下旬特別号No.1732 より

 

以上、2017年2月現在、個人的に好きな彼から発せられた言葉だ。ここでひとつ声を大にして補足しておきたい事がある。それは、コンサートでの彼の言葉だ。ここに書き記したのは、ラジオ、雑誌が主であり、コンサートでの発言は記していない。なぜなら、名言(迷言)が多すぎるからである。一言で言えば、コンサートでの彼はキチってる。本当に上記に記した発言が彼自身の言葉なのか半信半疑になることは、ほぼ、間違いないが、そういったところも彼が人を魅了するところである。是非、レポを遡って見てほしい。すぐそこに、アイドル 重岡大毅への入口がある。躊躇している人は、勇気を出して扉を開けてほしい。きっと堕ちる。絶対に。沼は、深い。一度味わえば抜け出す事は難しいだろう。噛めば噛むほど味が出てくる、癖になるほどに。彼は、そんなアイドルだ。

そんな彼から発せられる言葉をわたしは、これからも楽しみにしている。そしていつの日か、ジャニーズWEST 重岡大毅語録集なるものが発売されてくれる事を願っている。

 

 

20150123 MYOJO 3月号 10000字インタビュー全文〜藤井流星〜

“もうこれ、終わったな”って

ー2013年の年末、カウントダウンのとき、どこにいたの?

「家で両親とメシ食べてましたね。“今年、関西Jr.は出ません”ってメールをマネージャーからもらってたんで、“今年は出ないんだ”って、そんな深くは考えてなかったし。それに、『ミス・パイロット』の撮影が終わったばっかだったんで、“よっしゃ、やりきった!”ってすっげー満足感もあって、いい年末やくらいに思ってて。そろそろカウントダウン始まるなって思ったら、4人から“ゴメンな”ってメールが来て」

ーその瞬間、どんなこと考えた?

「何、考えたんやろうなあ。まあ、一瞬、真っ白になりましたよね。“お、んっ……!?”って。なんかボーッとして。正直、“ゴメンな”って言われても、なんも返す言葉もないから、“全然、全然”って返信するしかなかったんけど……。ケータイ置いて、どうしようかなーって。とりあえず、目の前に両親おるから、放送で流れる前に言っとかなと思って。ま、言って。“デビューすんねんて”って」

ー両親はなんて?

「“はあ!?なんで入ってないんだ!”って。そのあと何日間かは、俺が悩んでたり、ピリピリしてんの見守ってくれて、一切しゃべりかけてこなくて。あ、でも、思いつめてるように見えたんでしょうね。おとんにボソッと、“やめるんやったらやめてええからな”って言われたのは覚えてますね」

ーただ、グループに入ること、あきらめてなかったよね?

「そうですね」

ーカウントダウンのあと、神山(智洋)くん、濵田(崇裕)くんに電話したんでしょ?

「はい」

ーふたりとも、流星だけがあきらめてなかったって。“俺はなんとしても入るよ。あきらめんなよ”って言葉が、背中を押してくれたって。

「ふたりとも、俺をアゲすぎなんすよ(笑)。たしかに濵ちゃんと神ちゃんに“あきらめんなよ”って言いましたけど、過程があって。俺、放送を見て、すぐジャニーさんに“俺も入りたいです”って言おうって思ったんです。今、言わんと、どうすんねんって話やから。ただ、現場の状況がまったくわかんなかったから、把握してから言おうと思って、最初に(中山)優馬に電話したんですよ」

ーそうだったんだ。

「あのメール来たあとだったんで、メンバーには状況を聞きづらいし、向こうも話しづらいやろうし、聞かれへんなと思って。会場にいた仲いいのが優馬やったから、放送が終わってすぐ優馬に電話して。そしたら、すぐ出てくれて。俺が話し出す前に、いきなりあいつ言ったんですよ。でた瞬間、“今すぐジャニーさんに電話かけろ!”って。優馬もデビューのこと目の前で見て知ったらしくて、“どうなってるん?”って逆に聞かれて。誰も状況をわかってなくて。“とにかく、すぐかけろ!!”って。オッケー、じゃあかけるわって、カウントダウン終わって10分くらいかな、ジャニーさんにかけて。そしたら、“今、バタバタしてるから明日かけなおす”っていうパターンのとき、ジャニーさん、お忙しいから忘れてしまうことが多いんですよ。もうこれ、終わったなって、俺は一瞬思って……」

“やればできるコなのに、なんでやらないんでしょう”

ーそうだったんだ。じゃあ、まずは小さいころのことから聞いてくね。

「はい」

ー両親ってやさしかった?怖かった?

「けっこう厳しいほうだったと思いますよ。俺はそれをスリ抜けて、ヤンチャしたり、遊びに行ったりしてたんですけど、今になって親に聞くと“あれ、ウソやったんやろ”ってばれてましたね(笑)」

ーさすが、親だね。

「今思えば、愛されてたんやなって思うんですよね。とくに俺は第一子なんで、けっこうイベントとかにも力入れてもらって。妹がふたりいるんですけど、ビデオも写真も、断トツで俺のが桟ってますから」

ーこどもの日の写真かな!?メチャクチャ泣いてるけど?

「ビックリするくらい号泣してますね(笑)。こどもの日とか七五三とか、がっつりコスプレとかして写真撮られんのがイヤで。なんでイヤやったんやろ。よく裸で逃げ回ってましたね。脱がされるとこまでは気づかないんです。アホやから(笑)。衣装が出てきた瞬間に逃げ回るっていう。一度、玄関開けて逃げて、マンションの廊下を真っ裸で、逃げ回ったことがありますからね。結局、つかまって、兜と甲胃を着せられ、号泣する戦国武将みたいな感じで写真撮られて」

ー妹たちとは、仲よかった?

「昔から仲よかったし、今もふたりでごはん行ったりしますね」

ーすぐ下の妹さんは小さいころからモデルをしてたんだよね。うらやましくなかった?

「全然、うらやましいと思ってなくて。俺はそういう仕事より、サッカーのほうが楽しかったんで。親に入れられて、いっしょのダンススクールとかに通ってたりはしましたけど」

ーじゃあ、小さいころなりたかったのは、サッカー選手?

「幼稚園とか小学校のアルバムには、消防車って書いてましたね。消防士じゃなくて(笑)。今よく天然って言われますけど、そのころから片隣はあったっていう」

ー幼稚園時代から、長髪だったんだよね?

「木村(拓哉)さんがちょうど、そういう髪型をしてるときで。親が、やらせたかったんでしょうね」

ー幼稚園時代、モテ期だったんでしょ?

「人生最大のモテ期!なんか常に俺についてくる女のコがいて、写真とかもいつもいっしょに写ってて。俺、恥ずかしがりやったんで、写真を見ると、彼女は満面の笑みやのに、俺はあんまりいい顔してない(笑)」

ー女のコ、苦手だったの?

「ですね。ダンススクールも、10人の女のコの中に、俺は男だけとかで。完全にビビってました。女のコだらけなのがイヤで。女のコは更衣室があったけど、男は少ないんで更衣室がなくて。隅っこのほうで、ササッと着替えて。居心地、よくなかったですねえ」

ーサッカーを始めたのは?

「小4かな。仲のいい友だちがやってたんで。やろうぜ的な感じで始めて」

ー学校では、どんなコだったの?

「覚えてないなー。でも、調子乗りで、体育の授業で、球技になったら急に張りきるヤツでした。バスケ、フットサル、野球とか。成績表には、よく“やればできるコ”って書かれてて。小学校、中学校、一貫して、“やればできるコなのに、なんでやらないんでしょう”って書かれてた(笑)」

ー当時も忘れ物よくしてた?

「あったんじゃないですか。忘れ物をしたことすら忘れてるっていうね(笑)。よく使う駅の駅員さんに、忘れ物なかったですかって聞きに言ったとき、“また君か”って言われたことがあるくらいですからね」

なんや、この気合入った変な髪型のヤツ

ー中1でジャニーズのオーディションを受けてるよね。

「親が知らないうちに履歴書を送ってて。送ったのは、オーディションの3年前くらいだったらしいんですけど」

ー本人は知らなかったんだ。

「知らなかったですね。オーディションの日、偶然雨でサッカーが休みになって。おかんに“オーディション行こう”って言われたんですけど、ホンマに、典型的思春期男子だったんですよ。“え、ジャニーズ?アイドル?ない、ない”みたいな(笑)年ごろの男のコって、そういうとこあるじゃないですか。だから、“オーディションに自分が行く?ムリムリ”みたいな。絶対行かないって言ったら、おかんがおこづかいあげるからって。5千円って聞いた瞬間“行く!”って(笑)。今考えたら、よく雨降ってくれたな、おかん、よく5千円って言ってくれたなって話なんですけど。行く気も、受かる気もなくて」

ーそれで、よく受かったね(笑)。

ダンスは習ってたんで、ちょっとはまわりのコより覚えるの早かったんですね。で、ひと通り教わったあと、30分の自由練習になって。俺は、めっちゃ端っこで座ってたんです。練習も何もせず。そんときに、ジャニーさんがバッと来て。“ユー、覚えんの早いね”って声をかけてくれて。なのに俺は座ったまま、気のない返事をしたら、めっちゃ怒られて。“ユー、立ってろ!僕、立ってるんだからさ!!”って。それで記憶に残ったんじゃないですかねえ。こいつ、生意気やなって(笑)」

ーオーディション、重岡(大毅)くんや優馬くんといっしょだったよね?

「あんま人とからまなかったから、しげの印象はほとんどなくて。優馬とは、雑誌の写真を撮るって、ちょうどいっしょに呼ばれて、アンケートみたいなの書かされてるとき、“同い年やなあ”って声かけてくれたんですけど、俺はムシして(笑)。向こうは、なんやコイツって思っただろうけど、俺は優馬を見た瞬間から、“なんやコイツ”って思ってて(笑)。だって優馬、結構髪が長いのに全部髪を立たせてたんで、“なんや、この気合ガンガン入った変な髪型のヤツ”って思ってたから。俺だって、そーとーペッチャンコな変な髪型やったんですけど(笑)」

ーそんな状態から、よく仲よくなったね(笑)。

「なんでなんすかね。まあ、同じグループってのあったし、同い年やし、同期やしっていうので、じょじょにですよね」

ーオーディションのとき、神山くんが指導係だったのは覚えてる?

「覚えてますね。同い年やのにしっかりしてるなあって。先輩って感じがしました。最初は。今は、まったく感じないですけど(笑)」

ーその後のJr.の活動は?

「オーディションのあと、関ジャニ∞の神戸のツアーに呼ばれたんですけど、“行きたくない”って言って、俺は行かへんかって。ちょうど。ハワイ撮影もあって。俺はツアー行ってないし、ハワイにも呼ばれなくて。そしたら、ジャニーさんから電話がかかってきて、“ユーに電話しようと思って履歴書を見たんだけど、文字がかすれてわかんないんだよ”って。“え!?いや、この番号です”って(笑)。で、次の仕事の話かと思ったら、“なんでユー、ハワイ来なかったの”って話を、30分くらいされて。“呼ばれてないです”って言ったんですけど、“なんでなの”ってことをズーッと(笑)。ジャニーさんのこと、名前くらいしか知らなかったんで“なんやねん、この人”って最初は思ってましたね(笑)」

ーJr.の活動、最初は乗り気じゃなかったんだ。

「恥ずかしかったんですよね。学校で、“え?ジャニーズやってんの?”とか言われるのが。関ジャニ∞の番組で踊ったりしたんですけど、たまたま放送を見た友だちとかに、“おまえ、出てたやろ?”とか聞かれても、最初は、“俺じゃないんちゃう?”って言ってましたからね(笑)。中3くらいかな、ジャニーズなこと認めたのは」

パッと誘ったら、パッと来るから(笑)

ー神山くんが言ってたけど、Jr.を始めた当初は無口だったんでしょ?

「なんやろね。俺がいかなかった神戸のライブやハワイで、同期の輪ができあがってる中に、ひとりで入ってくのがイヤやったんですよね。最初、松竹(大阪松竹座)のリハの途中くらいに呼ばれて行ったのかな。急に来たから、みんな、“え、誰!?”みたいな空気で。正直おもしろくねえって思いながらやってましたね。早く、帰りてーって」

ーそうだったんだ。

「でも、なんか複雑でした。そんな気持ちでやりながらも、初めてステージに立って歓声を浴びると気持ちよくて。がんばろうって思うんですけど、練習してもうまくならんわとか、いろんなこと思ってました。投げチューとか、アイドルっぽいことするのもイヤやったんですよね。最近もメチャクチャ、アイドルしてるかっていったらしてないけど(笑)どっかでスイッチ入ったんでしょうね。俺はジャニーズやって。最初のころなんて、コントでスケスケのタンクトップを着ることがあって、ステージでイジられたんですけど、それがイヤでステージ裏で泣いてましたからね(笑)」

ーよくやめなかったね。

「まだ覚えてるんですけど、ファンレターを初めてもらったのが、うれしくて。最初は、2、3通やったんですけど、やっぱ応援してくれる人がいるってのが、うれしかったんですよね。もう少し、がんばってみようって」

ー今。ここにいるのは、ファンの人のおかげでもあるんだ。

「そうですね。あと、TOP Kidsに入ったのも安心感がありましたね。最初ひとりでやらされてたんで、ひとり感がハンパなくて。何か知らんけど、入りたてなのに藤井流星with関西ジャニーズJr.とかって書かれたりして。俺、なんもできないのにやめてくれって。ホンマにイヤやった、そういうの」

ーグループに入れてよかったね。

「ただ、今でも覚えてるのが、仲よかったJr.のコがいたんですね。レッスンのあと、そのコの家に泊まりにいく約束をした日があって。そしたら、その日に、そのコと入れ替わる形で俺がTOP Kidsに入ることになって。泊まりにいく約束だったけど、行かないべきか、でも、行かへんかったら気使ってるみたいやしなって。友だちは友だちやと思って行ったんですね。そしたらおたがいやっぱ気まずくて、ふたりともすぐ寝て。いろいろ複雑でしたね。選ばれたヤツもいれば、そこには選ばれなかったヤツも存在するんやなって」

ーじゃあ、Hey!Say!7WESTに選ばれたときは?

「初めて、“俺らきてんちゃうん”みたいなこと思ったのはありますね。デビューするグループの関西版ってことで作られたグループだったんで。“これ、デビューくるんじゃないかな”って初めて思ったときですね」

ー翌年には、小瀧(望)くんが加入して、すぐ仲よくなったよね。

「なんやろうねえ。誘いやすかったからですかねえ!?最初、あいつ敬語やったんですよね。いちばん年下ってのもあって、いちばん誘いやすかったのかな。パッと誘ったら、パッと来るから(笑)。よく優馬と3人で映画見に行ったり、メシ食い行ったりして」

ー今では、メンバー内でも、とくに仲がいいよね。

「いっしょにいてラクなんですよね。でもなんか、なんで友だちなのかって言葉で説明できるもんじゃなくないですか?もはや地元のツレみたいな感覚で。でも、ライブとかじゃ、俺と望って意外とからんでないんですよね。俺は(中間)淳太くん、望は(桐山)照史くんとかにちょっかい出すことが多くて。スタッフさんにこの前言われたんですけど、“なんでからまないの?需要あるよ”って(笑)。なんか、それこそ地元のツレ感やから、ふたりがからむって、どっか気恥ずかしいんですよね」

 ーその感覚、ちょっとわかるかも。

「まあ、あんま口には出さないけど、あいつの存在は大っきかったですよね。望が入ったくらいから、優馬が別行動になることも多くて。そういう意味でも助かりましたよね、仕事する上で。どんな現場でも、あいつがいるとリラックスできる。望が「近キョリ恋愛」決まったときとか、あいつ、聞いた瞬間に“決まった!”って連絡してくれたし、俺が「アゲイン!!」に決まったときは、たまたまいっしょにいて、“主演や!”“すげー!!”ってふたりで驚いて。気づいたら、いてくれる。そんな存在ですよね」

ーずっとシンメだしね。

「俺ら、身長高いっていうのもあるから悪目立ちもするんですけどね。ただ腕組んでてもエラそう感が全然ちがう。たしかに、俺らふたり、気だるそうに見えるとこあるけど(笑)。しげなんか、つねに上体揺れてメラメラなってる感じで、やる気があふれてる。だからか、俺らけっこう、怒られることも多くて。リハしてて、B.A.D.がまちがってて俺ら合ってたのに、振り付け師的には、“ここのふたりがまちがうはずないから、こいつらやろ”って先入観があったんでしょうね。“おまえら、位置ちげーだろ!”って怒られて。そろって“俺ら合ってますよ”って顔してるから、それがまた、ナメ腐ってると見えて、もっと怒られたりして。B.A.D.のふたりが、あとで“あれは俺らがまちがってた”って謝ってくれたんですけど、あのタイミングで言ってくれよって(笑)」

ーハハハハハ。

「当然、俺らだってやる気あるんですよ(笑)。先輩のバックについて、近畿圏のツアーには出られても、それ以外と全国ツアーには神ちゃんと、しげだけ行くことが多くて。やっぱ悔しかったし、“次行けるようにしような”ってよく話して。じょじょに連れて行ってもらえるようになって、ふたりで曲やらせてもらえるようになったときは、“やったな”ってよろこび合ったし。ホント、いろんな瞬間を、あいつとはすごしてて」

 だから俺、賭けをしたんです

ーJr.時代、転機みたいなものがあったとしたら、それはいつ?

「そうっすねえ……。やっぱ高校卒業したタイミングはデカかったですね。同級生で大学行く人もいれば、就職する人もいて、高校卒業って、一コの分岐点ですよね、人生の。みんなそれぞれの場所でがんばってんのに、俺は仕事がない日は、まったくやることがない。ヤバイなって危機感は感じましたね」

ー妹ふたりの活躍もプレッシャーになった?

「そこは気にしてはなかったですね。ネタでまわりに、“妹のほうが売れてるな”とか言われたりしてましたけど(笑)。がんばれよって純粋に応援してました。同級生の存在が大きかったな。だから俺、賭けをしたんですよね」

ー賭け?

「高校卒業した18才のとき、「少年たち」の舞台があって。最初、8月の松竹座のメンバーには入ってたんですけど、9月の日生(日生劇場)のメンバーには、俺と望は入ってなくて、電話したんですよ、ジャニーさんに」

ーなんて?

「“日生にも出たいです”って」

ーそれが賭けだった?

「俺、もし日生の舞台に立てなかったら、やめようって決めたんです。出られへんかったら、何かしら別の仕事しようって。続けることって大事ですけど、俺はダラダラ続けることに意味はないなと思ってて、20代後半になってもジャニーズJr.ってのはイヤやなと思ったんで。一コの賭けとして、ジャニーさんに“出たいです”ってのをドストレートに伝えて」

ー出られなければ、やめるってことは?

「言ってないですね。それを言ったらフェアじゃないから。だから、ただ“出たい”ってだけ伝えて。8月の後半にリハが始まるんですけど、呼ばれへんかったら、8月いっぱいでやめようと思って。そしたら呼ばれて。“この世界で、もうひと踏ん張りしよう”って決めました。そこからが大きかったですね。初めての、“これがしたい”って意思表示でもあったし」

ー日生の舞台は、どうだった?

「8月の舞台と役が変わって、お笑いパートを任されたんですよ。台本来たときに“マジか!”ってなって。それまで、笑いを避けてきてたから。もう叩きのめされましたね。スベリまくって。塚ちゃん(塚田僚一)すげーなって。こんだけスベっても、耐えられるんやって(笑)。塚ちゃんに、すっげー頼ったんです。困ったら、なんかやってくれって。塚ちゃんをスベらせて出番が終わるみたいな。あの人、ホントにもういい人すぎる。俺、すっげービビってましたから。舞台って反応がすぐ返ってくるから、怖くてしかたがなかったんですよね。ビビりつつなんで、中途半端で余計ウケなくて。あの日生のステージで、かなり鍛えられた感はありますね」

ー2013年は、初の連ドラ「ミス・パイロット」に出演してるよね?

「いきなりすぎてビックリしたんですけど、うれしかったですね。やっと、連ドラ出られるって。現場でいちばん年下ってこともあって、よくイジってもらって。監督に、“ここで、みんなをアドリブで笑わせて。よろしく。よーい、はい!”みたいなことも多くて。ここも、ホンマに鍛えられましたね」

ー「ミス・パイロット」の収録があったから、9月の「ANOTHER」には出てないよね?

「そうですね」

ー「ANOTHER」に出演したメンバーの間では、7人でのデビュー話が持ち上がってたのは聞いてた?

「そんな話があるよって、軽く聞いてたくらいで。俺は12月の末までドラマやってたから。みんなは、“たぶん7人でデビューできる”って思ってたらしいですけど」

ーそして、カウントダウンの日を、実家で迎えた……。

「マネージャーからのメールが意味深だったんですよね。今思えばですけど。“今年、関西Jr.は出ません”って。まーまー、たしかに関西Jr.としては出てないですよね」

1%の可能性に賭けてみよう

ーカウントダウンが終わった直後、社長に電話したときは、“終わったな”って一度は思ったんだよね。

「はい。あきらめないつもりでしたし、入るための努力はするつもりでしたけど、“ホントに入れんのか?”って不安のほうが大きかったし、1%の可能性に賭けてみようみたいな感覚やったんで。ジャニーさんに電話したけど……って優馬に報告しようとかけなおして。そしたら、優馬かっけーなって思ったんですけど、“絶対いける!100パーいける!!”って言いきってくれたんです。俺、その言葉でスイッチが入って、絶対あきらめないって。“俺も動くから大丈夫。絶対いける!”って、あいつ言ってくれたんですよね」

ー濵田くん、神山くんに電話したのは、そのあとなんだ。

「そうです。“いけるかわかんないけど、入る努力はしようぜ。見てるだけじゃ意味ないから”って話して。次の日、コンサートのリハやったんかな。リハから帰ったら、まさかの折り返しがジャニーさんからあって」

ーなんて言われたの?

「30分ぐらいしゃべって。“3人には俳優をやらせようと思う”ってことを言われて。俺は“入りたいよ”ってことを伝えて。もちろん、“じゃあ7人で”なんてことにはなんないけど、伝えることは伝えて」

ーそうだったんだ。

「そっから、やっと、しげと望と連絡とって。4人の状況を説明してもらって。しげ、一生懸命動いてくれて。望も最年少でいろいろ大変だったろうけどがんばってくれた。やっぱ俺じゃないんですよね、最初からずっとあきらめなかったのは。俺じゃない。断トツであきらめなかったの、しげなんですよね」

ーそうだったんだ。

「それで4人が、それに優馬も動いてくれて」

ーそして、「なにわ侍」のリハに3人も呼ばれ、本番でのデビュー発表につながったんだ。

「そういう流れですね。ステージ上で7人でデビューすることを発表したとき、改めて感じました。自分のことのように号泣してくれるファンの人たちを見て、俺たちは支えられてるんだって」

ー家族には、どうやってデビューを伝えたの?

 「恥ずかしがり屋なんで、電話じゃなくてメールを送ったらよろこんでくれましたね。わかった瞬間に送りました。少しでも早く安心させてあげたかったんで。自分的にもよかったんですけど、親を安心させられたのは、なんかそれ以上によかったですね」

ーよかったね。

「やっぱ、いろんな人に支えられて、今の俺がいるんですよ。おかん、ドラマとかあって久しぶりに実家に帰るとき、“家で晩メシ買うわ”って連絡すると、必ずハンバーグを作ってくれるんです。“ここぞとばかりに”俺、雑誌で“おかんの作る好きな料理は?”って質問に、ハンバーグって答えたことあって。たまには別のもんもって思うこともあるけど、ハンバーグが出てくるとやっぱうれしいんですよね。俺の記事、読んでくれてるんだ、いつも気にしててくれるんだって」

 “やっぱ、しっくりくんなあ”“気持ちええなあ”

ー今、7人でよかったなって、どんなときに思う?

「クルマでの移動中とか、よく思いますね。こんな仲いいグループないんちゃうかなって。俺ら、移動中のほうがしゃべってるくらいだから。車内が10なら、テレビとか雑誌の対談は3くらい(笑)。そんくらい、ようしゃべってる」

ーテレビや雑誌でも10で、しゃべってよ(笑)

「まあ、7割ほぼ下ネタとかなんで、それは難しいかな(笑)」

ーハハハハハ。じゃあ、これから、どんなグループになっていきたい?

「まずは知名度を上げる。街中で声かけられるとき、よく“関西ジャニだ!”って言われんですよ(笑)。“かすってんねんけど、若干違うねん。ジャニーズWESTって言うねんけど”っていっつも答えてて。あと、“応援団や!”とか(笑)。だから、まずは知名度を上げるってのが、個人的にもグループ的にも目標で。個々が個々の仕事をがんばるってことが、知名度を上げることにつながると思うんで」

ーそうだね。

「もっと先の目標としては、ずっと仲いいグループでいたいってことかな。ずっと変わらず、このままで成長していけたらなって。いつまでも楽屋でわちゃわちゃしてるグループでいたいですね。スタッフさんに、うるさいって言われ続けるくらい」

ー繊細な部分だと思うけど、ゴタゴタがあって、4人と3人の間に溝ってできなかったの?

「ないない。まだ入れるってことを言われてない段階で、「なにわ侍」の初めてのリハが始まって。その1曲目が「ええじゃないか」だったんです。曲が終わった瞬間、4人が口々に言ったんですよね。“やっぱ、しっくりくんなあ”“気持ちええなあ”って。4人が、そう言うてくれたのがうれしくて。俺ら3人も同じこと思ったし。その瞬間、すべてのゴタゴタも吹っ飛んで」

ーやっぱり7人がしっくりくるよね。

「ずっといっしょにやってきた7人だから。いまだに、なんで7人でのデビューにこだわったかって理由を聞かれても、いろんな想いがありすぎて、パッと言葉ではうまく評価できない。でも、“しっくりくるから”ってのがいちばんしっくりくるっていうか。それが、すべてなんじゃないですか」

 

葛藤の末、1%に賭けた大勝負。

天井知らずの可能性を知る友は、「100パーいける!」と背中を押した。

どんな忘れ物をしても、支えてくれた人たちへの感謝は決して忘れない。

「しっくりくる」満足感にたどり着くため、ともに汗と涙を流した仲間たちと星をめざして突き進む。

 

 

20141023 MYOJO 12月号 10000字インタビュー全文〜小瀧望〜

7人でデビューできる可能性はゼロじゃない

ーカウントダウンコンサートで、“グループ名はジャニーズWEST4 ”とデビュー報告をしていたとき、どんなこと考えてた?
「こんなこと言っていいんかわかんないけど……。心からは笑えなかったですね。正直。ああいう形では発表したくなかったです」

ーキツイこと聞くけど、メンバーからはずれた3人に対して、どう思った?

「4人でデビューってこと、ずっと言えなくて……。言えなかったっすね。それが、めちゃめちゃ重かったです。もう、あのときを越える苦しいこと、そうそうないと思うんですけど。3人とむっちゃ仲いいのに、でも言えない。やっと伝えられたのが、カウントダウンの数時間前で……。3人にメールして。3人からは、“教えてくれてありがとう”って返信が来たけど、でも本心で言ってるとは思えなくて。あんときほどツラかったこと、今まで生きてきた中でなかったんで……。悲しいとか、ツライとかじゃなくて、ホンマに痛かったんです。心が。あんな気持ち、二度と味わいたくないですね」

ーツラかったね。
「ただ、この発表と同時にデビューしますってわけじゃなかったんで、僕ら4人としては、微かですけど希望もあったんです。“まだいけるかもしれない”。“7人でデビュー出来る可能性はゼロじゃない”って」

ホンマ、おまえんとこの家族おかしいわ

ーじゃあ、7人でグループを組むまでのことを過去から順に聞いてくね。

「はい」

ー小さいころって、どんなコだった?
「うーん、幼稚園とか。小学校とか。クラスの真ん中にいる感じだったかな。リーダーじゃないんですけど。人見知りもしなかったし、あんまり引っ込む感じじゃなくて。あと、人を笑わすのが好きでした」

ー正直、モテたでしょ?
「幼稚園のころとかは、バレンタインでチョコを2、30個もらってましたけど。でも、どうなんでしょうね!?幼稚園のころって、フツーに渡すじゃないですか。たぶん、モテてなかったと思いますけどね」

ーいやいやいや。それ十分モテてるでしょ(笑)。幼稚園のとき、サッカーを始めたのは?
背が高かったんで、“やってみーひんか”ってコーチに誘われて。テニスも習ったことがあって。姉ちゃんといっしょにスクールに通ってましたね」

ーお姉さんの小瀧くん溺愛ぶり、有名だよね。

7コ上なんですけど、ケータイに僕のこと“息子”って登録してますからね。僕には育ての母が、ふたりいるみたいな(笑)」

ー昔から仲がよかったの?

小さいころは、よくケンカしてましたよ。僕がグチグチ言ってたら、“弱い犬ほどよう吠えんねん”って言われたの、まだ覚えてます。その通りなのが悔しくて、履いてた靴下を脱いで投げつけましたね(笑)」

ーハハハハ。そんなお姉さんが、最近は弟離れに挑戦中だとか?

「それ、もうやめさせました。ちょっと前まで、ほっぺにチューとかしてくる勢いだったんで、“それはやりすぎやろ”って言ったんです。そしたら、ちょっと距離を取るようになって。僕が東京に行くことも多くなったんで、弟離れしようとしたらしいんです。でも、距離を置かれると調子が狂っちゃうんで、“それはちがうよ”って伝えたら、いつも通りに戻ってくれて」

ー両親とも仲いいよね?メンバーが、「小瀧家の家族愛はハンパない」って言ってたよ。

「仲よすぎて、“ホンマ、おまえんとこの家族おかしいわ”って言われること多いっすね。今も月2くらいは家族全員で外食に行って、そのあとカラオケで『ええじゃないか』をみんなで歌ったりするし(笑)。映画とかも、お母さんとふたりで行ったりするんですよ。“おもしろそうなのやってるから。行こっか”って、僕が誘って」

ー反抗期ってなかったの?

「ないんですよ。ホンマに家族が大好きで、口が裂けても"ババア!”とか言えないですね。“うるせー!”とかも。あ、今まで1、2回は言ったかな。でも、すぐ反省して、“ごめんなさい”って謝って」

ー家族愛の源って。何なの?

「なんかねえ、思うんです。お母さんがお母さんでよかったな。親父が親父でよかったな。姉ちゃんが姉ちゃんでよかったなって。大好きなんで。僕、小3のとき、いっしょに住んでたおばあちゃんが亡くなってるんです。それで余計に家族愛が強くなったってとこあるかもしれないですけど。なんか、おばあちゃん、やさしかったんです。僕、おばあちゃんっ子で。大好きでしたし、今も大好きで。靴を履かせてあげたり、車椅子を押してあげたりしてたんです。でも、なんか、もっとしてあげられたことがあったんじゃないかなって」
ーそうだったんだ。

「だから、今後、やってみたいことなんですけど、お年寄りのいる施設をまわって歌を歌いたいんですよね。もしメンバー全員の意見が一致しなかったら、僕ひとりでも行くんですけど(笑)。おばあちゃんに恩返しじゃないですけど、もっと笑ってもらいたかったんで。せめて、そのぶんをじゃないですけど、みんなにやさしくっていうか。そういうのしてみたいです」 

おまえは、いっしょにいたらラクやわ

ーじゃあ、小さいころの夢って何だった?

「サッカー選手か美容師ですね」

ー美容師?

「僕が得意なこと、好きなことがそろってるなって。人とコミュニケーション取るの好きだし、手先もある程度器用だし。小学校のときとか、先生の肩もみとかしてたんで、マッサージも得意だし(笑)。昔から誰かに何かしてあげるのが好きだったんですよね。だから美容師、ハマってるやんみたいな」

ージャニーズのオーディションを受けたのは小6だよね?芸能界に興味ってあったの?

「ホンマは興味なかったんですよね。お母さんに“ジャニーズどう?”って聞かれても、“絶対、イヤ!”って言ってたぐらいで(笑)」

ーそれなのに?

「たまたま、「ミュージックステーション」に出てる山田(涼介)くんを見たんです。スゲーなって。こういう人になりたいなって、その瞬間に思って。その日から、サッカーやってて帰りが遅かったんで、山田くんが出てるバレーボールの中継とかも録画して見てて。あこがれましたね。山田くんがいなかったら、ジャニーズに入ろうって思ってなかったと思います。で、“僕もやってみたい”って、履歴書を送ってもらって。3月とかに送ったのかな。6年生になった7月に社長から電話がきて」

ーオーディションはどうだった?

「僕が受けたオーデイションは、KAT‐TUNのバックを選ぶオーディションで。いつもは百人単位で受けるのに、書類の段階でかなりしぼったらしくて、20人くらいだったんですね。会場が京セラドームだったんですけど。なんかスゲー気まずかったです。慣れない場所で、全員初対面で、独特な雰囲気で。会場に関西Jr.も大勢いて。(桐山)照史くん、(中間)淳太くん、B.A.D.のふたりもおって。“あ、「ごくせん」だ!”って。で、しげ(重岡大毅)が座ってて。もうキラキラしてて、“すっげージャニーズっぽい人だな。これがアイドルなんや”って、そんときだけは、スゲーと思って」

ー“そんときだけ”って(笑)。期間限定なんだ。

「今じゃ、ただの変なヤツですから(笑)」

ーハハハハハ。オーディションは受かると思った?

「何も考えてなかったです。受かるとか落ちるとか。全然、わかってなかったですね。でも、なんか終わったら、サングラスかけたおっちゃんに、連絡先を聞かれて。“ユー、名前なんていうの?”って聞かれたんで答えたら、“ユーが小瀧望なんだね”って。もう、“あんた誰やねん”って思って」

ーそれが……。

「社長でした(笑)。で、7月30日、ちょうど僕の誕生日に家族でごはん食べてるときに電話がかかってきて。“明日から東京に来てください”って。次の日から東京で、(Hey!Say!)JUMPの「SUMMARY」や少年隊の「PLAYZONE」を見学させてもらって」

ーいきなり別世界な感じ?

「はい。「SUMMARY」で山田くんも見られたし、「PLAYZONE」の客席でパッと後ろを見たら中居(正広)くんが座ってたりしてましたからね。緊張しすぎて、自分の状況が理解できなかったですね」

ー(藤井)流星くんや、神山(智洋)くんの第一印象は、どうだった?

「流星と神ちゃんが、「少年たち」のパンフレット撮影をしてるときに初めて会ったんです。流星の最初の印象は“ホンマに意地悪そうな人やな~”(笑)。神ちゃんは、なんか雰囲気があって俳優みたいやなって」

ー入所直後にもかかわらず、Hey!Say!7WESTの一員に大抜擢されてるよね。

「はい」

ー経験ゼロでグループに入るって、大変じゃなかった?

「最初はやっぱり、コンプレックスっていうか、早く追いつかなきゃってのはありました。だから必死で」

ーやっかみとかもあったんじゃない?

「ま、あったんじゃないですかねえ。何年もバックをやって、そこから上がってくのがフツーなんで。なのにパッと入ったヤツが、いきなりマイクを持って。正直、キツイ視線で見てくる人もいましたけど、気になんなかったっすねえ。家族は気にしてましたけど」

ー家族が?

「親や姉ちゃん、心配性で。ネットとかすごく見たらしいんです。Hey!Say!7WESTに入った直後は、“なんであいつが!”的なネガティブなことが、けっこう書かれてたらしくて」

ーそうだったんだ。でも、本人が気にしなかったのは、なぜなの?

「なんでなんですかねえ?そんなときでも、やさしくしてくれた先輩もいたからかな」

ーたとえば、誰?

「流星とか。僕が小6だったんで、流星は中3やったと思うんですけど、よく遊びに誘ってくれましたね。“何してんの?”って電話してくれて。そういうのは流星だけやったかな」

ーそうだったんだ。

「あ、でも、僕まだ少しサッカーもやってたんで、後輩の練習を見に行ったりしてたんです。流星からの誘い、“今、サッカー見に来てるんでムリです”って断りましたからね。しかも2回連続で(笑)。たぶん、あの人は覚えてないと思うんですけど。それでも、誘い続けてくれて。意地悪じゃなかったんだ。やさしいなって」

ー今では、色ちがいのジーパンを買うくらい仲がいいしね。

「流星が買ったヤツがかわいくて、色ちがい買っちゃいましたね。流星が青系で、俺が濃いグレー系で。でも、なんやろうなあ。いつからめっちゃ仲よくなったかってのは、覚えてないんすよ」

ーそうなんだ。

「だけど、流星に昔、“おまえは、地元のツレみたいな存在やから。いっしょにいたらラクやわ”って言われて。それがなんかうれしくて、今でも覚えてて。こういうこと言うのテレくさいですけどね」

ーほかにも、よくしてくれた人っていた?

「(中山)優馬もやさしくしてくれて。僕が入ったときから、関西Jr.の中でも別格って印象だったんですけど、すごく、やさしくしてくれたんです。昔から、流星と優馬とは特に仲よくて、よく誘ってもらって3人で遊んでたんです。今も3人でメシ食べたりしますね」 

“もお~”って言われんの好きなんかなあ

ーJr.の活動自体は順調だった?

「うーん、どうだろう。最初、やっぱり自分を出せるまで、少し時間がかかりましたけどね。心を閉ざしてたわけじゃなかったんですけど、やっぱ出せなかったんでしょうね。子どもやし。なんか、殻にこもってたんですかね。知らない間に」

ーその殻を破ってくれたのは?

「ラジオや雑誌の対談とかが、いいきっかけだったと思います。少しずつ、いろんな人と打ち解けて、殻が破れていって。メンバーといることも楽しくなって。最初は緊張ばっかりでしたけど、徐々に徐々にですね。でも、いちばんはファンの存在ていうか、コンサートですね。自分たちの冠コンを計3回したのかな。2回目くらいで完全に殻を破れました。大好きな人といるときは、やっぱり素でいたいなって」

ーじゃあ、意図的にキャラを作ったり変えたりしてたわけじゃないんだ。

「そうですね。素を出せるようになっていった感じです。だって、好き好んで2.5枚目を演じないでしょ。まあ最近は2.75枚目くらいにいっちゃってますけど(笑)。僕、キャラを作るのイヤなんで。大っ嫌いなんです」

ー二枚目路線のほうが、人気が出るかもって思わなかった?

「もしも素の2.5枚目が嫌われるなら、それはしかたないやと思ってて。メンバーも、ファンの人たちも、これからずっといっしょにいるんで、素でいたほうが、いいじゃないですか。ナチュラルに生きたいんで」
ーそうだね。

「それに、“2.5枚目”ってキャッチコピー、ファンの人につけてもらったんです。すっごい気に入ってて。ファンレターに書いてあったんですよね。“人類初の2.5枚目”って。そう見えてるんだ、うれしいなって」

ーじゃあ、恋愛マスターって呼ばれるのは?

「“なんで俺が、そう呼ばれてんやろ!?”って感じですけど、まっいっかって(笑)。ホンマに濵ちゃん(濵田崇裕)によく言われますけど、僕、子どもな部分はホンマに子どもなんで。知ってる人にとっては、見た目とのギャップが激しいと思う」

ー寝ている関西Jr.のコの耳に息を吹きかけたりするんでしょ?

「やるやる。楽しいんですよね。ウザがらみすんのが。スネた顔で、“もお~”って言われんのが好きなんかなあ(笑)。なんか、楽しいんですよ」

ー完全に子どもだね(笑)。じゃあ、最近したウザがらみは?
「東京で舞台があると、ホテル生活になったりするんですけど、エレベーターフロアーで神ちゃんに会って、神ちゃんは部屋に戻るとこだったのに、“ちょいちょいちょいちょい”って呼んで、クリーニング出しに行くの、無理やりいっしょに来てもらったり(笑)。濵ちゃんの部屋には、ほぼ毎日行ってましたね。特に目的はないんですけど、ひたすら、おしゃべりしたり、芝居の話をしたりして。濵ちゃん、ギターをずっと弾いてるんで、僕が歌って…みたいな。あと、いっしょに筋トレしたりしました」

ーメンバーのこと、大好きなんだね。
「はい。ウザいくらい(笑)」

“絶対デビューしよう”。4人で誓った約束

ーJr.時代、やめたいって思ったことなかった?

「あります、あります。ありますよ、そりゃあ。それこそ、高校1年とかのころとか」
ー何があったの?

「うまく伝えられるかわからないんですけど、もっと違う道もあるんじゃないかって悩んで」
ー誰かに相談したりした?
「そういうことを話せる人は、あんまりいなかったんですね。がんばってるメンバーに言うことじゃないと思ったし、家族にも言ったら悲しむだろうなって思ったし。悲しませたくないってのがあったんで。だから、自分の胸に秘めてました」

ー高1の時って言ったけど、それって7WESTが6人から4人になったことと関係ある?
「う~ん…あるかな。最初、Hey!Say!7WESTで優馬と一緒にやってたとき、このグループでデビューできるかもしれないって話があったんですね。あったんですけど、優馬はNYC boysで活動することになって、その話はなくなって」

ー2009年のことだよね?
「はい。それから、6人でデビューを目指してたんですけど、僕が高1のとき、ふたりが抜けることになって。やめる前に相談も受けたんですけど、僕は止めなかったんです」

ーなぜ?

「僕自身、将来のこと不安だったし、悩んだ…。俺、人の人生を、人の決断を変える権利ないなって。がんばっても、デビューできるがどうかはわかんない。もし、デビューできなくて、“あのときやめとけばよかった”ってなったら……。自分の人生なんで、自分の好きに生きたほうがいいと思うんです。だから、もちろんさびしかったけど、俺は止めることはできなくて。それは、すごく、もしかしたら冷たいことなのかもしれないけど……。でも今、ふたり、楽しくすごしてるだろうから。だから、さびしかったけど、引き止めなかったんです」

ーそして、7WESTは小瀧くん、重岡くん、流星くん、神山くんの4人での活動となった。
「絆は強くなりましたね。4人で、“ふたりのためにも、俺らは絶対デビューしよう”って約束して。デビューできなかったら、ふたりも後ろめたい気持ちになっちゃうでしょ?」

ーそうだね。ただ、関西Jr.からは、2004年に関ジャニ∞がデビューして以降、グループはデビューしてない。正直、デビューは難しいかもって思わなかった?

「簡単じゃないやろとは思いましたね。でもね、僕、ウォルト・ディズニ―の好きな言葉があるんです。“If you can dream it ,you can do it.”。“それを夢見ることができるなら、あなたはそれを実現できる。”その通りだと思うんです。想像できたら、強くイメージできたら、それは実現可能なことだと思うんです。僕は、ドームで歌ってるとこ、よく想像してました。いっぱいのお客さんの前で、大歓声に包まれて歌ってる姿を。ドームで歌うってことは、デビューするってことじゃないですか。想像すること、強くイメージすることって大事ですよ」
ーなるほど。

「当然、夢を叶えるためには努力しなければいけない。だから僕、退路を断ったというか、自分の中でリミットを決めて」

ーリミット?

「高校卒業までにデビューできなければ、やめようって決めたんです」

ーそれ、追い込み過ぎじゃない?
「でも、続けてると、自分が立たされてる状況が、ある程度見えてくるんですよ。もしデビューできるなら、ここ1、2年が勝負だなって思ったんです。もし、俺以外の人たちで関西Jr.からデビューするグループがあったら、やめようとも思ってましたし。B.A.D.のふたりや、濵ちゃんもいる。そこ誰かを加えたグループがもしデビューしたとき、そこに俺が入ってないなら…。そしたら、次はなにわ皇子やKin Kanの番なんで。そこに僕は入らない。チャンスは何回もこない。あって、あと1回。だから、高校を卒業するまでにデビューできなかったらやめようって」

4人じゃないー。7人だったから

ーそして昨年、いよいよデビューの話が浮上したよね。
「そうですね。去年の9月、事務所やレコード会社の人と話をさせていただいて。そのときは、7人でって話だったんです。だから、“ついにきたか!”って。でも、そっから進展がないまま、時間だけが過ぎて」

ーショックだったんじゃない?
「よくあることなんでしょうけど、僕にとっては、2度目の挫折なんで。“なくなった。またや”って……」

ーそうだね。
「そしたら、12月に4人が東京に呼ばれて。7人の代表として呼ばれたと思ったんです。でも、話を聞いていくと、どうやらちがくて。“4人でいく”って伝えられて。4人のほうが売り方的に有利だからって。その通りかもしれないんですけど、僕らはすごく戸惑っちゃって」

ーそして、カウントダウンコンサートを迎えたんだ。

「はい。カウントダウンもキツかったですけど、年明け4日からの明けおめコンも、キツくて。そのときのリハーサルの雰囲気も……。来てくださった方に失礼なんですけど、今までのコンサートの中で、いちばん楽しくなかったですね。おもしろくなかったです。7人ともそうだったと思うんですけど。流星とやった「Run From You」も、いつもとどっか違っただろうし」

ー3人とは、何か話せた?

「しゃべれなかったですね。今まで1回も、そんなことなかったのに。言葉が出てこないんです。何をしゃべっていいのかもわかんなくて。いつもみたいにからまれへんし。ムリでしたね。流星たちも、何話していいかわからなかったと思います」
ーやりきれなかったね。
「でも、僕より流星のほうが全然強くて。メールをもらったんです。“気にしなくていいから”って」

ーでも、7人でデビューすること、あきらめなかったよね。

「特にしげは、ずっと“7人がいいです”って言い続けてて。たぶん、あのころ僕、誰よりもしげと話し合ってて。“もともと僕たちは7人やから、絶対7人でいこう”“そうやな。”って。しげが振りつけ師に“7人がいいです”ってひとりで言いに行ったんです。そのあと、僕が呼ばれて。“お前はどっちがいいんだ?”って聞かれて」

ー何て答えたの?
「“7人です”って。照史くんも、淳太くんも動いてたと思います。それから、少しずつ少しずつ風向きが変わったんですよね」

ーそうだったんだ。

「まず、ジャニーズWEST4の“4”が取れたのがデカかったです。ふぉ~ゆ~と、かぶっちゃうって話になって、まず4が取れて。最後は社長に“責任は自分たちで取りなさい”って言われて」

ーもしも話がこじれてデビュー自体がなくなったらって怖さはなかった?リミットも決めてたし、1回あるかないかのチャンスだったんだよね?

「たしかに、そうだったかもしれないですね」

ーそれでも、7人にこだわったのは?

「7人、それぞれ個性がある。だから7人のほうがそれぞれのいいとこを、より多く出せるんじゃなかって思ったから。……って、なんか、それっぽい理由も考えたんですけど、本音はもっと単純で。好きなんですよ。メンバーが(笑)」

ー最後はメンバー愛なんだ。

「さっきディズ二―の名言が好きだって言いましたよね」

ーうん。「夢を見ることができるならー」ってヤツね。

「そう、いつからだろう。僕が思い描くドームで歌ってる姿って、1人じゃない。4人でもないー。7人だったから」

7色だから描ける未来がある
ーそして本当に、7人でのデビューが正式にかなった。

「関西Jr.のメンバーや、家族、ファンの方、いろんな人が祝ってくれて、本当にうれしかったですね。今度は、心から笑えました。幼稚園から中学までいっしょだった地元の仲いいコが、中学時代の同級生、学年2クラスだったんで、5、60人なんですけど、全員から俺あてにお祝いのメッセージをもらってきてくれて。それだけじゃなくて、幼稚園、小学校、中学の先生からの手紙とかも、アルバムにまとめて持って来てくれたんです」

ーそれ、うれしいね。ほかにも、印象に残ったお祝いの言葉ってある?

「山田くんと話す機会があったんです。“よかったね、7人になって”って言われましたね。うれしかったです」

ーじゃあ、これから7人で、どんなグループになっていきたい?

「うーん、何だろう。“誰々が好き”っていうより、“グループが好き”って言われるようになりたいんですね。“みんな好きやから、選ばれへん”って(笑)。たとえば、僕を“7”好きでいてくれるより、7人を“1”ずつ好きでいてくれるほうがうれしいです。グループとして愛されてるほうが、嬉しいじゃないですか。みんな好きって、言ってくれるほうが。僕が好きなメンバーを、みんなも好きになってくれたら、そんな幸せなことないなって」

ー具体的に、これからやりたいことってある?

「まずはやっぱりライブを、いっぱいしたいですね。ライブしてるときがいちばん楽しいんで。アオリ曲とか、会場の全員で騒ぐ感じ、僕いちばん好きで。だから今は、めちゃくちゃ全国ツアーをしたいです」

ジャニーズWESTのライブは、MCもおもしろいよね。

「みんな、おもしろい!濵ちゃんとか独特やし、神ちゃんも変わってるし、流星は傍観者やし(笑)。まあ、淳太くんが大変そうですけどね。ボケが6人なのに、ツッコミはひとりなんで。やっぱねえ、長い人で10年以上のつき合いがある。“ここは絶対にツッコんでくれる”って信頼感があるんで、みんな安心して好きなこと言えるんです。友だちがコンサートに来てくれて、“芸人よりおもろいな”って言ってくれたんですけど、ホンマうれしくて」

ー7人だから成立する間であり、空気ってあるよね。

「ホント、いろんなキャラがいて、7人でよかったなって思いますね。あの時、“7人がいいです”って言ってよかったなってホンマ思います。言ってなかったら、一生後悔してたから」

ー“7”でよかったね。

「常に思います。つくづく思います!だって歌番組に出たときとか、放送を見たら、僕も知らないところでメンバーがボケたりするんですよ(笑)。7人でよかったなって。トーク中も思います。いろんなキャラがいておもしろいなって」

ーそうだね。

「デビューしたとき、友だちからもらったアルバムの最後に、英語で“すべての色には役割がある”って書かれてて。“かっこええ~。ホンマそうやな!”って思ってて。いろんな色があって、その色がほかの色と並んだり、混ざったりして、引き立ったり、キレイに輝いたりするわけで。僕ら7人にも、それぞれの役割があるんです。7色だから描ける未来があるんです」

ーいい言葉だね。ちなみに英文では何て書いてあったの?

「えっと……。それはちょっと忘れました(笑)」

 

夢をかなえるのは苦しい。

だけど、かなった瞬間がいちばん苦しかった。

心が「ホンマに痛かった」のは、想像してた夢とちがったから。

「ひとり」でも「4人」でもない「7人」で叶えたかった夢。

「ウザいくらい」大好きなメンバーだからきっと「描ける未来がある」と信じている。

 

 

20140923 MYOJO 11月号 10000字インタビュー全文〜濵田崇裕〜

「濵ちゃんも、あきらめんなよ」

ーカウントダウンコンサートで、中間(淳太)くん、桐山(照史)くん、重岡(大毅)くん、小瀧(望)くんの4人がデビュー報告をすることを知らされたのは、いつだった?

「発表の数時間前でしたね。僕は、オフがOFFで。“ラッキー!初詣行こうぜ!!”って、保育園からの友だちを誘って、のんきに地元の神社に行ってました(笑)。出店で牛タン串が売ってて、“俺のおごりや!”って友だちの分も買って、ほおばりながら参拝の列に並んでるときメールが鳴って」

ー誰からのメールだったの?
淳太からで……。“だまっててゴメン、実は……”って。ながーいメールで、ただごとじゃないぞって一瞬でわかって。パニクって文字が全然頭に入ってこないから、とりあえず最後までバーッてスクロールしたら、“4人でデビューする事になりました”って……」

ー本人たちからの報告だったんだ。

「牛タン食ってる場合ちゃうやん……って。ショックというより、“え?え!?ウソやん!!”って状況を把握できなくて。グループメールだったんで、(藤井)流星と神ちゃん(神山智洋)から、“教えてくれてありがとう”って返信が送られてきて。全然、納得も心の整理もできてなかったけど、俺も送らなって、“教えてくれてありがとう”って同じ文を送って」

ー簡単に受け入れられないよね。

「なんかもう、世界中でひとりぼっちになったみたいな感覚になって。そしたら参拝の順番になって。“神様に何を祈ったらええんや?”って。もうなんか、死にそうだったんでしょうね。“け、健康でありますように!”って願ったんですよ(笑)。友だちに、“何をお願いしたか知らんけど、お祈りしてるとき、これでもかってくらい力強く目をつぶってたぞ。必死すぎやろ”って笑われましたからね」

ー時間とともに現実感が増していった感じ?

「もう、どんどんどんどん気分が落ちていくんですよ。でも、友だちは知らないんで“おみくじ引こうぜ!”ってハイテンションで。で、引いたら、まさかの大吉で。“ウソつくなー!!”って半泣きで叫びましたからね(笑)」

ーもうダメだと思った?
「正直、僕は終わったって思いました。あきらめモードというか。だって“この4人で”って発表したんですよ。でも、流星から電話がきて、“俺はなんとしても入るよ。濵ちゃんも、あきらめんなよ”って。その言葉で一気にスイッチが入ったんです。神ちゃんも、最初はあきらめてたはずで。流星だけがあきらめなかった。こいつ、すごいなって。本当のピンチでも、うつむかず顔を上げるんだって。俺もあきらめちゃダメだって」

まかしとけ!ジャニーズ入ったる!!

ーそもそも、ジャニーズにはあこがれて入ったの?

「姉ちゃんがふたり、兄ちゃんがひとりいるんですけど、姉ちゃんたちがジャニーズ好きで。僕をジャニーズに入れれば、自分の好きなJr.に会えると思って入れようとしたんです。そんな下心に気付かず僕は、“まかしとけ!ジャニーズ入ったる!!”って(笑)」

ー4人きょうだいの末っ子なんだね。

「実家が農家だったんですけど、両親が忙しかったんで、きょうだいで弟の面倒を見なさいって感じで。母親より、姉たちに面倒を見てもらった記憶がありますね」

ー農作業を手伝ったりもした?

「僕、特技がトラクターの運転で。田んぼをトラクターで耕すのを、お父さんのヒザの上に乗せられて見てたら、自然と運転を覚えたっていう」

ー小5でダンスを習ってるよね?
「クラスの女の子に誘われたんで」

ーそれって、モテてたってこと?
「たぶん、モテてなかったです。ただ、ムダに運動神経抜群やったんで誘われたんだと思います(笑)。最初はおもしろかったんですけど、ちょっとしたらついていけなくなって、やめようとしたんです。心変わりに気づいたんでしょうね。僕、好きなコがバレてたんですけど、やめるって切り出そうとした瞬間、“あ、あのコも入るから”って言われて。僕の好きなコもダンス教室に入ることになって。“よっしゃ、もう少しがんばろう!”って(笑)」

ーそのころ、夢ってあった?
「中学でバスケ部に入って。“自分の身体能力を最大限に発揮できるのはこれだ!”ってバスケ選手になろうと思ってましたね」
ー事務所に履歴書を送ったのは中2だよね?
「いよいよ、さっき言った姉が弟をジャニーズに入れて好きなコに会わせてもらおう計画を実行に移したわけです」
ーただ、履歴書に貼った写真見たけど、凄いね(笑)。
“ツカミが大事や!”って思って(笑)。オカンが鼻眼鏡を買ってきてくれて。それをかけて写真撮って。アホなんです。わかってないんです。ことの重大さが。で、履歴書は送ったんですけど、返事が来なくて。俺はオーディションさえ受けられず不合格か。“チクショー!!”って」

ーハハハハハハ。
「で、だいぶたってオーディションの通知が来て。バスケに目覚めてた時期だったんで、最初はオーディションに行かないって言ったんです。姉ちゃんのお目当ての子も、もうJr.におらんくなってたし。でも、“まあ、とりあえず行ってみようよ”って姉ちゃんに丸め込まれて」

会場はどうだった?

「怖かったっすね。俺、10人くらいかなと思ってたんですよ。そしたら300人くらいいて。カッコつけたヤツとか、女の子みたいなキレイな顔したヤツとか、陽気なモヒカンとかもいて。あ、それが照史だったんですけどね(笑)。僕、人見知りなんでひと言もしゃべってないですけど、“このコ、いつかお笑いの道に進むんちゃうか?”って思ったんです。ある意味、当たりましたね(笑)」
受かると思った?
「絶対ムリやろって。ナイキのTシャツと、オカンが買ってきたようわからんズボン履いて、濵田家的にはいちばんのオシャレして行ったけど、もう田舎っぺ丸出しのカッコだったんで」

ー何かアピールしなかったの?
「オカンに言われてたんですよ。“あんた、バック転できるやろ”って。できそうなだけで、できるわけじゃなかったんですね。でも、“それ見せたほうがいい”って言われて。特技を披露する時間に手を挙げたんです。そしたら、先に指名されたのが、すっごいアクロバットが得意なコで。“バック宙できまーす!”って言ってブワーッてやって。見ていた関ジャニ∞さんも全員、“すっげー!”ってなって。で、次に俺が指されたんですけど、もうムリムリムリ。そんなコのあとなんか(笑)。でも、“すみません。バック転、でき……そうなんです”って。補助してもらって、どうにかできて。∞のメンバー全員、“うーん、もうちょっとかな”って言葉に詰まってましたからね(笑)」

ーそれは受からないと思うかも(笑)。

「何人かは雑誌用の写真を撮られてて。俺は撮られへんかったから、もうムリやろなって。でも、その日の夜に、「ANOTHER」って舞台があるから来てって電話で言われて。なんかねえ、あきらめてたんで、よけいにうれしかったですね」
ー入所してすぐ、BOYSに抜擢されてるよね?

「そうだ、そうだ。「ANOTHER」のときに何人か呼ばれたんです。歌ってみてって。おそらく、あれが歌審査やったんやろうな。その後直ぐBOYSに呼ばれて、マイクを持たせてもらって。でも、歌えるってことがどういうことがわかってなくて。姉ちゃんの友だちが“入ってすぐマイクを持てるってスゴイんだよ!将来有望だよ!”って教えてくれて。なるほど、俺は今すごい位置にいるのだな、と(笑)」

ーちなみに、バスケ選手の夢は?
「バスケ部の先生に、オカンが知らないうちに報告してたんですよ。舞台があるから、部活に行けない日がある。“舞台が、あの子の夢なんです!”って(笑)。先生も“濵田の夢なら応援します!”って。俺はバスケ選手になりたかったのに、勝手に道が閉ざされて(笑)。舞台後、部活に参加したら、ダメなプレーをしても先生が叱ってくれなくなったんですね。あ、気をつかわれてるなって。これはムリやって。だから、中1で見つけた人生初の夢を、中2であきらめたんです。ジャニーズ一本で生きて行くしかないって(笑)」

あいつのMCには愛があったから

ーデビューについてどう思ってた?

「最初は、自分がデビューできるとは思っていませんでしたね。なんもできることないし。とりあえず、続けとこうってくらいの感じで。そうっすねえ、深く考えて生きてなかったですね。関ジャニ∞さんがデビューして松竹座で自分たちのコンサートができるようになって、この世界の楽しさがどんどんわかっていって。あとは、先輩たちを見て、こうないたいな、ああなりたいなってことをいっぱい見つけてったんです。それで、だんだん、この世界が好きになっていって」
ー先輩の存在は大きい?

「大きいですね。先輩からすべてを学んだから。関西はマネージャーさんもつかないですし、もうすべてを先輩に教わり、自分たちでやる。一度、「ザ少年倶楽部」の収録で東京に行ったとき、東京のJr.は、マネージャーさんが衣装を片づけてたんです。“え?何でなん?”ってビックリして。僕らは、年上の文ちゃん(浜中文一)とかが、“こうたため、こう結べ、こうしまえ!”って見本を見せてくれて。“おまえらも後輩に引き継いでかんといかんぞ”って教わって。本当に、何から何まで先輩に教わったというか」

ーなるほど。

関ジャニ∞さんにしても、ずっと近くで見せてもらってたわけです。それは、もちろん華やかな部分だけじゃなくて、苦労した部分も。僕らはJr.時代、ごはんなんか数えきれないくらい連れてってもらいましたし。舞台中、関ジャニ∞さんの弁当はあったけど、Jr.の分がない時があったりして。そしたら、錦戸(亮)くんや、安田(章大)くんが、出前を取ってくれて。“みんな、たべー”って」

ーあこがれてる先輩っている?
「丸山(隆平)くんですね。心から優やさしい人やなって。よく“夜ごはん、行く人!”って、大勢Jr.を誘ってくれて。丸山くんとごはん行くと、終始、みんな笑ってるみたいな。カニを食べさせてもらったときがあって、丸山くんが、合戦の武将みたいに、“ぶおおおおおお~”って、エアーホラ貝を吹いて、“かかれ~!!”って言うと、Jr.が“おおー!!”っていっせいにカニを食べ始めて、数分で食べつくしたり。あんな後輩に、気をつかわせないようにしてくれる、あったかい人ってなかなかいないです」

ーじゃあ、Jr.時代、やめようと思ったことってない?
「高3のときかな。1回だけやめようと思ったことあります。なんて言うか、何年か進歩がないな、って思うことが続いて。何をがんばっても前に進まないで足踏みしてる感じというか。“あー、これムリや。やめよう”って思ったんですけど……」

ーけど?

「やめる勇気がなかったんですよね。やめると僕、何もない。“どうするの?今から?”って怖かった。同じ時期、やめてったコたちも多くいて。決断力すごいなって。僕はやり過ごしてきたというか、現実から目をそらしてきたというか。やめたくても、やめられなかった瞬間、なんか情けなくて、うわーってなりましたね」

ー誰かに相談したりした?

「してないですね。みんな応援してくれてたから、できなかったです。しかも僕、昔からこういうキャラじゃなかったんですよ。もう少しカッコつけてて(笑)。だから、よけい相談とかできなくて」

ーそんな時期を乗り越えられた、転機のようなことってあった?
「僕っていうより、関西Jr.の転機みたいなものがありましたね。照史がきっかけです。「ごくせん」に出たあたりだったかな。あいつ、MCでお笑いに走ったんですよ。その瞬間、関西Jr.に化学反応が起こった」

ーどういうこと?

「あいつ、自分をカッコよく見せるより、三枚目の方向、笑いの方向にシフトしたんです。今も、“ホンマはキャーキャー言われたいねん”って冗談っぽく言ってますけど、本音でえすよ(笑)。でも、あいつは笑いに舵を切った。たぶんそれは、自分のためじゃなくて関西Jr.のため。それに、みんながバッてついていったんです。“進むべき道は、ここだ”みたいな感じで」

ーみんな、ついていったんだ。

「ですね。あいつのMCには、愛があったんで」

ー愛?

「それまでも、みんなよくしゃべってましたけど、それは個々が勝手に自分をカッコよく見せたり、目立つためでしかなくて。気づいてる人も多いと思うんですけど、照史のトークって、ほとんどの場合が自分を下げて、相手を上げるんです。ある意味、自分を犠牲にして中間をカッコよく見せてる」

ーたしかに、それは愛だね。

「しかも、そのうえ笑いも取った。これ、すげーなって。俺はまだ、できることいっぱいあったのに、やめようと思ってたなって。だから、変わろうって。さらけ出したんです、アホな部分を(笑)。そんな僕を見て、ビックリした人もいれば、“そういうキャラやったんや。ウケる”って人もいて。正直、あのタイミングで離れてった人もいると思う。でも、よりいっそう好きになってくれた人や、関西Jr.に興味を持ってくれた人もいたんじゃないかなって。だから、俺はもっとさらけ出して、いっぱい笑い取っていこうって。あ、もちろん、たくさんたくさんスベリましたよ。今だって、よくスベリますし。でも、気にしない。スベリすぎて、鋼の心臓を手に入れたから(笑)」

ーハハハハハハ。

「照史が、関西Jr.を変えた部分って大っきいと思うんです。本当の仲間になれたっていうか。もちろん、関西Jr.同士でもライバルであって。7WESTができたときなんか、勢いもあったし、“こいつら、デビューするかも”って、ちょっと焦りもしたけど、絶対に負けない。負けらんないって、自分はアクロバットだったり、いろいろ習ったりして。ライバルだけど仲間だし、仲間だけどライバルっていう、いい関係だったなって」

なくなって気づく大切なものってあるよ

ーじゃあ、NYCのデビューはどう思った?

「(中山)優馬は、早いうちにデビューしそうやなっていうのはあったんで、内心めっちゃビックリしましたけど、“デビューすると思ってたよ”って冷静なスタンスを演じてました(笑)」

ーじゃあ、キスマイ(Kis-My-Ft2)がデビューしたときは?

「流石に、“やべー!!”って焦りましたね。正直言っちゃうと、キスマイより先にデビューしようってのを目標にしてたんで。ただ、落ち込むというより、“やられたなあ。でも、次は、俺たちが行くぞ!”って思ってましたね」

ーデビューまでの距離、どう感じてた?

「正直、見誤ってたと思うんですよね。僕たちが思うデビューまでの距離と、事務所が考えてる距離に開きがあった。だから、キスマイがデビューしたあたりから、“自分たちがやりたいことを口に出して言おう”って決めたんです。それまで口に出さなかったんで」

ー言葉にするようにしたんだ。

「はい。キスマイがJr.時代にツアーを始めたときとか、うらやましかったんです。でも、“うらやましい”って感情を表に出すって、負けた感じがしますよね。嫉妬的な。デビューしたくても、“したいです!”って泥臭くアピールするんじゃなくて、言わないまま、スマートにデビューしたいJr.も多いと思う。でも、俺らは、願う事は口に出して言おう。それがかなうための努力は惜しまないようにしようって決めた。ことあるごとに、“ツアーをしたい!”って言ったら、ツアーができるようになったし、デビューだって。意地やプライド……そんなものより、カッコ悪くたっていい。想いを口にすることで、本気度を周囲に伝えようって」

ーなるほど。個人的には、2011年に、BOYSが解散状態になったことも大きかったんじゃない?

「そうですね。メンバーがドンドンやめていって……。僕自身、ビックリしましたけど、まわりのほうが動揺してたというか。何も言ってないのに、“濵田、やめるってよ”とか噂が広まって。河合(郁人)くんに、“ホントにやめんの?”って聞かれましたからね(笑)」

ー実際、本人はどう思ってたの?
「意地でもやめないって決めてました。デビュー、絶対してやるって。ファンのコに変に気をつかわれて、やさしくされたんですね。“私は、ついてくからね!”みたいな。いやいやいや、誰もやめる言ってへんし。やる気満々やし(笑)。ありがたかったんです。でも、気をつかわせてしまった。だから、デビューして、安心してもらいたいなって」

ーなるほど。
「ただ、もしも僕が、BOYSの解散から伝えられることがあるとしたら、“なくなって気づく大切なものってあるよ”ってことだと思うんです。正直、“ユニットじゃなくてもいけるんじゃないか”って思った時期もあったんです。でも、なくなって気づいた。ひとりじゃ、なんもできひん。それまではミスしても、笑いに変えてくれた人が隣りにいた。でも、ひとりになったら、ミスはただのミスで終わる。だから、もし、近すぎて、その価値がわかりづらくなってる人がいるなら、改めてどれだけ大切な存在なのか見つめ直してほしいし、その気持ちを本人に伝えてほしいって思います」

みんながやめるなら、僕もやめよう

ー2013年5月、中間くん、桐山くんと、社長にデビューしたいって直訴してるよね?
「たまたまツアー中に社長の家に泊まることになって。3人で“今しかない!”って直談判しましたね」
ー最初は素っ気なかったんだよね?

「眠そうでしたからね(笑)。3人で必死で“デビューしたいねん!”ってお願いして。最初は“ユーたち、おっさんだから”って話をそらされて(笑)。でも、少しずつ“そうだねえ”ってなり始めて。3人で“いけるぞ!”ってアイコンタクトして、押せ押せ押せ押せって畳み掛けて。切り込み隊長は照史で。しまいには泣き落しですよ。“このままじゃ食っていかれへんねん。純粋にデビューしたいって気持ちもある。でも、食っていけたら、それでええねん”って(笑)。社長も、だんだん、そういう気になって。最後は、“考えとく”って言ってくれて」

ー桐山くんが、この直談判でまったくデビューの可能性がないのなら、やめてたかもしれないって言ってたよ

「う~ん、僕は、皆がやめるのなら、やめようというか。デビューできなかったらやめるというよりは、いっしょにやってきたコたちがやめんなら、僕もやめようと思ってましたね」

ーなんか、人任せすぎない?

「ある意味、そうですね(笑)。僕、なんでこの世界に居続けてんだろうって考えたんです。最初は、自分から望んで入った世界でもないのに。でも、この世界で、僕が何か手にした物があるなら、それはまちがいなく仲間なんです。これまでも、いっしょにやってきたコがやめてったことがありました。そうすると、胸に穴が開いたみたいになるんです。なんで、この世界に居続けたか……。それは、このメンバーが好きで、そんな仲間といっしょに、ファンの人たちの前に立つことが楽しかったからなんだって」

ーこのメンバーだから、か。

「ふざけてるとき、真剣なとき、どんなときでも阿吽の呼吸があるというか。こう言ったら、こう返してくれる。ひとりでも欠けたら、それが崩れるんです。誰か欠けて、楽屋のアホトークも、下ネタも、ステージ前のわけのわからない気合入れとかも、そのすべてがなくなると思うと、いる意味がないなって。誰かが欠けたら、俺は続けてくのムリやなって」

ー少しずつ、だけど着実に強くしていった絆なんだね。

「僕らのMCのスタイルが、どうやって生まれたかって言ったら、最初のころ社長に“MCおもしろくない”って言われたことからスタートしてるんです。じゃあ、こうしよう、ああしようって常に話合って。“こう言ったら、こうボケてや”“こうなったら、こうツッコんでや”って、積み重ねていったんです。ときには、すっごいモメたし、“ボケたのに、なんでツッコまへんかったんや!”“いや、あの場面は!”って言い合いも日常茶飯事で。でも、昔はそんなことできなかった。もめるくらいならだまっとこうって。だから、このスタイルになるまで、乗り越えてきたもの、積み重ねてきた月日があって、このメンバーだから成立する空気なんですよね。だから、誰が欠けても、その空気は、世界は壊れてしまう。そうなったらやめようと思ったんです。みんなが続けるんだったら、デビューどうこうじゃなくて俺は続ける。でも、誰かやめるなら、俺もやめるって」

もうムリやろ。俺、別の道探すわ

ーただ、直談判に行った3人のひとりだったのに、濵ちゃんはカウントダウンの会場にはいなかった……。

「ほんまっすよね。フタ開けた瞬間、“俺、おらんやないかーい!”って(笑)」
ーカウコン後、4人と初めて顔を合わせたのは?

「次の日、あけおめコンのリハがあったんです。どうやって顔合わせよう、気まずいなって。流星とも神ちゃんとも、ほとんどしゃべんなくて。でも、4人はまだ東京から戻って来なくて。俺、みんなで踊ってる最中、急に“あー、情けねー”って、ひとり立ちすくんじゃったんです。リハ抜け出して裏口から外に出てって。なんか地獄でしたね」

ー4人が合流したのは、その翌日?

「はい。いつも通りに接してほしかったし、接したかったのに、いつもの空気じゃ全然なくて。気をつかってる感じが。その夜、淳太に電話したんです。“いつもどおりしゃべってもらっていい?気をつかわれるのイヤや”って。淳太の気持ちもわかる。とんでもないことが起きてるのもわかる。でも、イヤやったんですよ。なんか、今までみんなで少しずつ築き上げてきたものが、全部壊れちゃいそうで」

ーあけおめコンどうだった?

「絶対に泣かないって決めてステージに立ったんです。でも、ファンのコが泣いてるのが見えて……。俺の歌で、どんだけ届くかわかんない。それでも、“俺はまだ自分を信じてるよ”って想いを曲に乗せて歌って……」

ーコンサート後の仕事って、何か決まってたの?

「そっからあとの仕事、なんもなかったんです。振りつけ師さんに、“4人が日生劇場で舞台をするけど、どうする?”って聞かれて。もし出たくなければ、それでもかまわないって。何か俺、ここ出なかったら本当に終わりだなって思って、“出たいです!”って言って」

ー不安な日々の中、支えになったことってあった?

「4人が社長や事務所の人に働きかけてくれてるって話を、漏れ聞いたりもしてたんです。それでも進展はなくて……。しげ(重岡)に言ったんです。“いろいろ動いてくれとるらしいな。ありがとな。でも、もうムリやろ。俺、別の道探すわ”って。そしたら、しげが、すっげー真剣な顔で“ちょっと待っててください。100%入れないとは思わなくてもいいと思います。今はまだ、それくらいしか言えないですけど”って。その言葉で、なんか緊張というか不安が解けたんですよ。これはメンバーになった今だから言えるのかもしれないけど、どんな結果が出たとしても受け入れようというか。思い通りにはいかないかもしれない。ただ俺は、できることは精いっぱいやった。そして、こんな素敵な仲間が、俺たちの為に懸命に動いてくれた……悔いはないって」
ーじゃあ、風向きが変わったのは?

「俺たちの現状を舞台にしようってところから、「なにわ侍」の物語は生まれたんですね。稽古初日に、オーディションで選ばれた4人に、選ばれなかった3人が加わって、ひとつのグループになるって構成を伝えられ、みんなでセリフを考えて。その構成を聞いたとき、確定したわけじゃないですけど、“あ、入れるかもしれん”って思いました。その日の晩、7人全員でごはんに行って」

ー「なにわ侍」、現実にリンクしていて、たくさんの観客が涙してたよ。

「………最後のシーンだけ、セリフじゃなくて、本当の気持ちを言おうってなって。そのシーンで、照史に半泣きで“濵ちゃんが必要や!”って言われて、俺、泣きそうになって。そのあと、“これで勢ぞろいやな!”って、しげが言って。しげ、“泣いてへんで”って言うけど、目がウルってきてて。みんなの目にも涙たまってて。もう、ヤばかった。この7人で、本当に、本当によかったなって」

7人だからこそできることがきっとある

ー今後のことについて聞こうと思うけど、個人的な目標ってある?

「うーん、ひとつは、演技面をしっかり磨いて、誰もできないような役を30才越えたくらいでやりたいですね。バスケで発揮できなかった、この身体能力を活かせるような映画を、いつか撮りたいです(笑)」
ー“東京進出”についてはどう思ってる?

「なんか、殴りこみってイメージですね。、関西らしさ、僕ららしさをぶつける感覚。挑む感じです。もちろんまだ自分たちにも、何ができるか、何が向いているのかわかってない状況で。それを見つけて、もっともっと磨いて、強くなって、いずれは新しいジャニーズになりたいです」

ー新しいジャニーズ?

関ジャニ∞さんも新しいことやってますよね。僕らも、新しい時代を、新しい分野を、この7人で切り開いていきたいなって。まだ、何ができるかわからない。でも、この7人だからできること、この7人じゃなきゃできないことがきっとあるから」

ー改まって言うことじゃないけど、この7人でデビューできてよかったね。

「はい!Jr.時代、誰かの仕事が決まると、“おめでとう!”って言いながら、どこかちょっと悔しさもあったんです。でも、この前、流星がドラマ決まったとき、“おめでとう”って心の底から言えて。今、メンバーにいいことが起こったら、心の底から祝福できる。この7人だからなんだろうなって思いますね。それはたぶん、僕だけが思ってる事じゃなくて。流星が忙しくてコンサートのリハに1日しか割けなくて、流星抜きでリハしてる最中、照史が、“ここでこうすると、流星が大変や。練習時間ないから。もう少しわかりやすくしとこ”って言ったんですね。みんながみんなを想い合っている。この7人でよかったなって」

ーおみくじの大吉、まちがいじゃなかったね

「はい。大吉だっただけじゃなくて、願い事ってとこに、“待てば叶う”って書いてあったんです。すごいでしょ!?でも、待つのはもうしんどいんで、これからは、自分から夢に向かって走ってこうって思います。この7人でいっしょに」

 

最初は、望んだ夢ではなかった。夢をあきらめる仲間の背中を見ながら、

「やめる勇気がなかった」自分は、あがいていた。

チャンスを待ちながら居続けたこの世界で、手にした何かは、「まちがなく仲間」。

もう今は、待ってなんかいられない。「夢に向かって走ってこう」と決めている。

「濵ちゃんが必要や!」と、仲間たちが呼んでいるから。

 

 

 

20141122 MYOJO 1月号 10000字インタビュー全文〜神山智洋〜

“なんでこうなったん?俺、なんかしたか?”

ー2013年のカウコン、出ないことを知らされたのは、いつだった?

「“出ないよ”って言われたわけじゃなくて、年末が近づいても連絡がなかったんで、今回は関西Jr.は出ないんかなって思ってて。だから、何気なく31日を迎えて。もうちょいでカウントダウン始まるなって、テレビの前にいたらメールが来て。“誰かメンバーからの明けおめメールかな、まだ年明けてへんぞ。気、早いし。しゃーないな~”くらいに思って開いたら、4人からのメールで。“えっ?”って」

ー4人でのデビューを知らされた。

「なんか、なんやろ……。体が、体温がいっきに下がっていく感じがして。文章を読んでるんですけど、頭に入ってこなくて。“どういうこと?どういうこと?”って。時間がホンマに止まりましたね。まわりの音がいっさい聞こえなくなって。絶望しかなかったです。“なんでなん?なんでこうなったん?俺なんかしたか?”ってことが頭をグルグル回って」

ーデビューするなら7人でと思っていたのに……。

「9月の『ANOTHER』のときに、“関西Jr.、デビューの可能性あるよ”ってジャニーさんから言われて。(藤井)流星はドラマでいなかったんですけど、“7人ちゃうか”って、6人で話したんです。“俺ら、絶対7人でデビューしよう”って約束していて。夢見て、突きつけられた現実がこれかって……」

ーやりきれなかったね。

「でも、仲間やから、デビューはよろこばしいことのはずで……。“おめでとう”って返信したんですけど……。4人が絶対悪くないのはわかる。でも、心の底から祝福できない。素直によろこんであげられへんこともつらくて」

ーそのとき、そばに誰かいた?

「俺はソファに座ってて、となりにおかんがいて。おねえはキッチンからテレビを見てて。でも、“このあと4人でデビュー発表するで”なんて言えるわけもなくて、ただいっしょに放送を見て。仲間の祝福すべき瞬間だから見てあげなきゃって。見たくない気持ちもあったけど……。正直、“ウソであってくれ”って思いもあって。“いつくんねん、いつくんねん”って思ってたら、そのときが来て。のんちゃん(小瀧望)は年齢的に(出演できないから)客席にいて、ステージの3人が映し出されて。“ここか”って。“4人でCDデビューします”って声が聞こえて」

ーお母さんとお姉さんの反応は?

「目を合わせることもできなくて。ただテレビを見てることしかできなくて。家で年越しをすると、カウントダウンが終わったら地元の神社へ初詣をするのが恒例だったんですけど、放送が終わったら、おかんとおねえは気をつかって、そーっと布団に入って。俺はカウントダウンが終わっても、ずーっとテレビの前で死んでて」

ー濵田(崇裕)くんと、(藤井)流星くんとは、連絡取った?

「取りました。流星が唯一、あきらめてなかったんですよ。“ホンマにコイツ強いな”って。濵ちゃんは、最初あきらめてたけど、流星の言葉でスイッチ入って。でも俺は、ホンマにあかんわ。もう、やめようって。ここで、やめたほうがいいわって。夢見るより現実見ようって。はっきり言ってあきらめました。今まで、妥協したこともない。やれることは、全部やってきた。それでもダメやったんやから……」

得意料理は鳥南蛮。タレもいちから作ります

ーあの日受けた心の傷は、まだカサブタにもなっていないと思う。それでもいろいろ聞くけど、大丈夫?

「全然、大丈夫です。“あんとき、つらかってん”って、お涙ちょうだい話にはしたくないし、もう笑って振り返れる。笑って話せないなら話さないです(笑)」

ーじゃあ、ジャニーズに入ることが夢になったのって、いつだった?

「小さいころ、『ウルトラマンティガ』を見て長野(博)くんをカッコいいなと思って。それから、『学校へ行こう!』でV6さんを知って。“うわ、カッケーって”思ったのがきっかけです。V6さんのライブビデオを買ったりもしてましたね」

ダンスは5才から習ってたんだよね。

「おねえがやってたんで、“やってみたい”って自分で言ったらしいです」

ーお姉さんの影響だったんだ。きょうだい、多いんだよね?

「おにい、おねえ、妹がふたり、6つ上、3つ上、3つ下、9コ下ですね」

ー仲はいい?

「いいですね。小さいころはよくケンカしましたけど。3つ下の妹をよく泣かして、それをおねえに叱られて、今度は俺が泣かされてってことが多かったです(笑)」

ーヤンチャだったんだ?

「よくアロハシャツみたいなのを着て、虫カゴを肩にかけて、虫取り網を両手に持って、ずっと走り回ってるコでした。常にたんこぶがあって」

ーハハハハハ。

「ただ、見た目は女のコっぽかったんで、スーパーのレジのおばちゃんとかに、ほぼ絶対“お嬢ちゃん”って呼ばれて。女のコだと思われるの、めっちゃめちゃイヤでしたね」

ー小学校時代から金髪だったって聞いたことあるんだけど。

「はい。おかんが、金とか赤にしてくれて。でも、ダンスやってるってことみんな知ってたんで、学校の先生に怒られることもなくて」

ダンス以外は習い事ってしてた?

ダンスだけですね」

ーアクロバットやギターもこなすし、ファッションや料理、趣味も多いから、ほかにも何か習ってたのかなって。

「負けず嫌いなだけです(笑)」

ーちなみに得意料理は?

「今は鳥南蛮ですね。タレもいちから作ります。家族にも好評で。でも、僕はおかんが作るからあげと卵焼きがいちばん好きで。長期で家を離れる前の日と、帰ってきた日は、今でも絶対にからあげで。おかん、僕が外食嫌いなん知ってるんで。外食するなら、家でおかんのメシを食いたいから」

まぶしかった関ジャニ∞。“絶対ああなろう!”

ーオーディションを受けたのは、小4だよね?

「“応募してみる?”っておかんに聞かれて、“うん、する"って。それで応募して。忘れたころに、一次審査通過の通知が来て。普通、逆なんでしょうけど、オーディションを受けるために黒髪にしたんです。おかんが、“そうしとき"って言うんで(笑)」

ーオーディションは、どうだった?

「100人単位で人がいて。振りつけを教えられて踊って。終わったとき、ジャニーさんに声をかけられたんです。“TOKIOのライブがあるけど来れる?"って。何人か呼ばれて、関西Jr.とコンサートに出て踊りましたね」

ー初めてのステージ、どうだった?

「“デカッ!こんなに人が集まるんだ!!”って。もう別世界でした」

ーお母さん、よろこんでくれたんじゃない?

「ちゃんとそういう話したことないんで。でも、うれしかったんちゃうかなあ。忙しい中、送り迎えもすごいしてくれたし、僕、ムチャしちゃう性格なんで、練習中とかでもよくケガしたんですけど、何をしてても駆けつけてくれて。いつも応援してくれたのが、おかんでした」

ーその後の活動はどうだった?

「“次はこういうのあるから来て”って呼ばれるようになって。滝沢(秀明)くんが主演の『DREAM BOY』にも呼ばれて。でも、いっしょにオーディションを受けたコで呼ばれたの、唯一、僕だけやったんですよ。いきなり先輩の中にポンって入れられて戸惑いましたね。右も左もわからん状態で」

ーたしかに、それは戸惑うね。

「正直、イヤでした(笑)。子どもだったんで。仲いい人どころか、しゃべれる人もいなかったんで。めちゃめちゃ人見知りでもあったし。でも、僕はおぼえてないんですけど、(中間)淳太くんと最初に会ったとき、“淳太、連絡先教えてや!”って言ったらしくて。ホンマにすいませんでした(笑)」

ーハハハハハ。

「入ってすぐ濵ちゃんも入ってたBOYSってユニットにも入ったんですよ。でも、楽しいとか感じられる余裕すらなくて、あれやらなきゃ、次はこれやらなきゃって感じで」

ーデビューについてどう思ってた?

「まだ何にも考えてなかったですね。野心的なものがもともと希薄ってのもあって。ただ、俺らがバックで踊ってて、関ジャニ∞さんが、メインをずっと張ってたわけです。Jr.は照明もあたってないし、衣装だって共有だからサイズも合ってない。関ジャニ∞さんは、目の前でまぶしいライトに照らされ、ピシッと衣装を着てマイクを持ってて。そのうしろで踊りながら、“絶対ああなる”って思ってましたね」

関ジャニ∞の存在は大きい?

「はい。いちばん長いこと背中を見てきた先輩なんで、今でも手本にしてるところはありますね。入ってすぐかな。関ジャニ∞さんの舞台のリハをしてて、自動販売機の前でジュースを買おうと立ってたら、横山(裕)くんと大倉(忠義)くんが来て。ふたりとも、めっちゃデカかったんで怖かったんです。そしたら、横山くんがチャンチャンってお金を入れて“好きなの押し”って。もう“え!?”ですよ。めっちゃカッコいいなって。コンサートで錦戸(亮)くんが、いきなり俺に“歌い”ってマイクを渡してくれたこともあって。みんなやさしいし、ステージの上でも、外でもカッコいいんです」

ーそうだね。

「俺、入った直後は、(渋谷)すばるくんって怖そうだなって思ってたんです(笑)。そしたらコンサートのとき、すばるくんのうしろでカバンを背負って踊るシーンがあって。カバンから太陽のマークを出して手渡す役目だったんですけど、“ミスったら殺される”と思ってたのに、ミスって渡せなくて。そしたらステージ裏で、すばるくんがビューッと来て、“ヤバイ!”って思ったら、“ごめんな、ごめんな。うまく受け取れなくて”って、謝ってくれたんですよ。完全に俺のミスなのに。みんな、ホントにやさしくて」

ー関西ならではの絆ってあるよね。

「ありますね。事務所の人がおらんかったんで、後輩を叱るのは先輩の役目でもあって。それがあったから、今があるんやろうなって。だから俺らも、絶対に後輩には同じことしてあげないとって思いますね」

ー2006年には、流星くん、(中山)優馬くんと3人で、TOP Kidsを組んでるよね。優馬くんの印象は?

「2年後輩なんですけど、オーディションで、俺と何人かのJr.が手本で踊ってたんです。そしたら、ジャニーさんが優馬を連れて来て、直々に紹介してくれたんで、“このコはいくな”って思ってたら、ポンッと同じグループになって、“おお、マジか”って」

ー流星くんは、どうだった?

「流星は、コンサートのリハーサルをしてたら、いきなりしれーっと来たんです。“誰や?”と思って。振つけ師に、ダンス教えといてって言われたんで教えたら、ものすごく覚えが早くて。で、“ダンスやってるの?”って聞いたら、なぜかムシされました(笑)」

ー当時から天然だったんだ(笑)。

「天然っていうか、流星の第一印象は暗いコでした。めっちゃ静かなコで、笑いもしなくて」

ー入った年令が早かったから、自分の後輩が年上ってことも多かったと思うけど、大変じゃなかった?

「ありましたねぇ。なんか、TOP Kidsしかり、その後のグループも、基本的に後輩と組むことしかなかったんで、“先輩やからがんばらな”って思いが、トゲトゲしく映ったりもしたと思うんです。俺、けっこう一匹狼みたいになってたと思います」

ーただ、関西Jr.のツアーのとき、メンバーの洗濯を進んでしたり、後輩のめんどうみがよくて、“関西Jr.のおかん"って呼ばれたりもしたよね。

「うーん、それは先輩やからとかじゃなくて、自然にというか。うち、おとんがいないんで、おかんが働きに出てて。おねえは稼いでて、家には俺とおにい、妹ふたりなことが多かったんです。おにいは、ちょっと体が弱かったりしたんで、中学のころから、家のことは僕がやってましたね。たぶん、その延長線上ですね」

ーじゃあ、料理を始めたのも?

「そうです。俺がやったら、おかん助かるかなと思って。やってたら、案外できるやんって(笑)」

関西Jr.のために、絶対爪痕残す

ーHey!Say!7WESTができたのが、2007年だよね。

「『Ultra Music Power』のHey!Say!7WESTバージョンを作ってもらったりして、“もしかしてデビュー!?”って思いましたね。でも、俺はまだいいやって」

ーなぜ?

「この世界で生きてくってことは、入った瞬間に決めてたんですけど、まだ、デビューっていう夢を見てなかったんですね。確固たる目標じゃなくて」

ーじゃあ、どのタイミングでデビューしたいって思った?

「本気で思うようになったのは、優馬が、Hey!Say!7WESTから引き抜かれる形でデビューしたときかな。悔しかったんです。悔しく思う自分がいたことで、“あ、俺もそうなりたいんや”って気づいたんです。自分の夢って、デビューなんやって」

ーHey!Say!7WESTは7WESTになり、その中には流星くん、重岡(大毅)くん、小瀧(望)くんと、のちのジャニーズwestのメンバーがいたよね。

「しげ(重岡)と小瀧は、同じタイミングでグループに入って来て。しげはJr.に入ったころから知ってたんです。帰り道が同じだったんで、ずっといっしょに帰ってて。あいつ、電車の中でもおかまいなし、大きな声でよーしゃべって。“うっさいなー”って思ってて。ひとりで、あの高い声で、ずっとしゃべってるんです。めっちゃ恥ずかしかったんで、いつもちょっとだけ他人のふりしてました(笑)」

ーハハハハハ。小瀧くんの印象は?

「入ったとき、小6やったかな。“めっちゃデカイやん。どうしよ”って(笑)。でも、このコもくるなって」

ーどうして?

「わかりやすいんですけど、Hey!Sey!7WESTで衣装を作っていただいたときに、いちばん豪華やってんで(笑)。いきなりソロもありましたからね」

ー嫉妬した?

「全然。いっしょにがんばろうって。同じグループになったとき、ふたりに“もう、くんづけはやめてくれ。敬語もやめてくれ”って言ったんです。敬語を使うグループって、なんかイヤでしょ?後輩からは言い出せないだろうから、俺から言うべきだなって」

ーなんか、いつも自分のためというより、グループや関西Jr.のためってことを考えてきたのは、なんで?

「野心がないから(笑)。まあでも、ひとりでがんばっていくんじゃなくて、関西Jr.を広めたいなって想いが強かったのかな。東京に仕事で呼ばれたときも、関西Jr.のために、絶対爪痕残すって思ってたし。関西Jr.で、初めてツアーをさせてもらったときとか、“あ、これ、関西Jr.として流れが来てる。個々のグループや個人でスキル上げても意味ないな”って思って。全員でダンスの練習に行ったり、濵ちゃんと(平野)紫耀とアクロバットの練習行ったりとかしましたね」

ーじゃあ、7WESTが、6人から4人になったときはどう思った?

「大変やったし、つらかったんですけど……。危機でもあったし、転機でもありましたね。ホンマがんばろうって意思を全員で固めて。それぞれの役割について話し合ったんです。しげはトークが達者やから、しゃべりでいってほしいとか。小瀧と流星は、スタイルいいしイケメンやからルックス面でいってほしいとか。俺は歌とかダンスが好きやったんで、そっち系でいきたいなとかって」

ーより結束は強くなった、と。

「なりましたね。俺、けっこう熱い性格やって言われることが多いんですけど、それが災いすることもあって。自分にも厳しくしてるつもりやけど、人にも同じ厳しさを求めたりするんで、けっこう暑苦しかったと思うんです。けっこう尖ってたし、だいぶ一匹狼やったんで。正直、MCとかでイジられたり、俺をきっかけも笑いが起こるのとか、めっちゃ嫌いだったんですよ。俺で笑いを取るなよって。むっちゃギラギラしてましたね。それが4人になったタイミングで、3人が、これじゃあかんって気づかせてくれた」

ーそうだったんだ。

「めんどくさい性格してんなあって、自分でも気づいてるんですけど、うまい具合にできなくて。それがめっちゃもどかしいときがあるんです。最近、メンバーに、“ホンマに丸くなった”って言われたりもするんですけど、今だって、メンバーが包み込んでくれてるとこがある。やさしさに甘えてばっかじゃダメだ、直さなきゃって部分もいまだにあって」

ーじゃあ、Jr.時代も振り返ってきたけど、ここまでで、やめたいと思ったことってなかった?

「なかったですね。1回も。なんやろうなあ。おかんをラクさせたいってのがずっとあったんで。入るころから言ってたんですけど、“おかあちゃん、いつかクルマ買ってあげる”とか、“ハワイ旅行連れてってあげる”とか、ずっと、そんな気持ちだったんで、なんかあったら、やめよっかなとか、そういうヤワい決心じゃなかったですね」

笑えてへんやん。全然、笑えてへんやん

ー2011年に、初めてカウントダウンコンサートに出てるよね?

「はい。関西Jr.から10人ちょっとだったかな。“俺らこんなとこ立たせてもらっていいんですか?”って感じで(笑)。しかも、歌わせてもらったのが、V6さんの『愛なんだ』で。“きたっ!”って思いましたね。次の年もカウントダウンに出させてもらって。この年は、(桐山)照史くんに、藤ヶ谷(太輔)くんを紹介してもらったりもして」

 ーそれが、去年のカウントダウンには呼ばれなかったばかりか、4人でのデビューが発表された。

「翌日、コンサートのリハがあったんですけど、まだ放心状態で。家を出るとき、おかんが“いってらっしゃい”って声をかけてくれたんですけど、それに返事すらできなくて。電車に乗ってる最中、“何やってんや、俺”って。おかんも、俺がショックやってわかってるから声をかけてくれたのに、何やってんのやろって。それ、あかんやろって。10年くらい、いっしょに夢追っかけてくれてた人のやさしさやのに。“俺、ガキか”って思いましたね」

ー気づけて、えらいよ。

「なんか、そこでひとつ吹っ切れて、やめるのはやめようって。まだ求められることがあるなら、続けていこうって。演技も好きやし、そっちの道もあるかもしれないって」

ーリハのとき、今後のことについて、事務所から何か話はあった?

「3人が呼ばれて、ソロのときは演技をメインで、3人が集まったらアイドル活動もするって形を提案されて。俺は、それに納得したんですね。これが現実やって。でも、流星と濵ちゃんは“絶対に入る!”ってあきらめなくて。たとえ、4+3のような形になったとしてもって。俺は、その形は一切ゴメンやったんですよ。絶対イヤやって。言うたら、今まで7人で一列でやったのに、それが二列になるんなんてゴメンやって」

ー4人とは何か話をした?

「次の日のリハで4人が合流したんですけど、3人は3人、4人は4人で分かれてましたね。会話もなく。ホンマに忘れたいくらいの空気が流れてて」

ーつらかったね。

「そしたらリハ何日目かな、照史くんに話かけられて。“4+3って形になるってどう思う?”って。俺、“絶対イヤや!”って言ったんです。照史くん、“そうだよね”って悲しそうな顔して。その会話を聞いてたスタッフさんに、“イヤなのは当然。でも、照史くんの気持ちも考えてあげて”って言われて。その瞬間、俺がまちがってるって気づいたんです」

ーどうして?

「照史くんだって、4+3って形を望んでるわけじゃない。7人でデビューできるための道を苦しみながら探してくれてたんだって。俺がイヤやって言うのは、どんだけ照史くんを苦しめるのか。俺、まちがってた。自分が苦しいからって、目をそらしてたんです。デビュー発表のとき、いちばんつらかったんは、俺でも、流星や濵ちゃんでもない、4人やったって。テレビでは確かに笑っているように見えた人もいるかもしれないですけど、でも俺、見てて思ったんです。“笑えてへんやん”って。ずっといっしょにいたからかわかる。“全然、笑えてへんやん"って。それに気づけた瞬間、選択肢は“7人”しか俺の中でなくなったんです」

ーそうだったんだ。

「そのあと3人で話し合って。4人はもしかしたらデビュー自体がなくなってしまうかもしれないのに覚悟を決めてる。俺たち3人も覚悟を決めようって。それを4人に伝えて。後で知らされたんですけど、4人が“7人で”ってことを全力で押してくれて」

ー7人にこだわったんだ。

「はい。でも、もしもやけど、3人の中で流星か濵ちゃん、どっちかが抜ける状態で、6人か5人になるんだったら、俺は絶対に入ってなかったです。グループに入ることにこだわってたんじゃなくて、7人であることにこだわってたんで」

一生忘れられへん歓声と光景

ー7人の想いが、『なにわ侍』につながったんだね。

「リハに呼ばれて。なんで呼ばれたんやろうって思って。いざ行ってみたら、7人での曲のリハーサルが始まって、そこで、なんやろう。ホッともしたし、入れたんやと思いましたね。ただ、デビューするってことは、誰にも言ってなかったです。ホンマに誰にも。親にも言ってなかったです」

ーなぜ?

「家族にも、ファンの方にも、俺ひとりの言葉じゃない、どんな言葉でもない、7人の姿で、7人で並んだ姿で報告したかったから」

ー『なにわ侍』の一幕でも重岡くんとの掛け合いは感動的だったよ。

「セリフは、ふたりで考えて」

ー「俺の分もがんばってくれ。もう自信ないねん。今まで自分ができることはやってきた。全部やってきた。それでも報われなかった」ってセリフだね。

「演技として泣こうと思ってたんですけど、感情が乗ってしまって、もうええよっていうくらい涙が出てきたんですよ。しげも泣いてるし、なんやろうなあ。リアルな想いだったんで。ホンマできること全部やってきた結果だったんで」

ーそして二幕。

「4人の名前が最初に呼ばれ、次に3人の名前が呼ばれて。会場がザワザワして。“この7人でCDデビューします”って言ったあとの歓声、全身が粟だったっていうか、今までの人生でいちばんうれしかったです。うまく言葉にできないですけど、言うたら7人でデビューしたいってのは、俺らの夢なわけで。なのに、こんなに応援してくれて、泣いてくれて、よろこんでくれるファンがいる。幕が開いて客席が見えて。そのときの歓声と光景、一生忘れられへんと思う。支えられてんだって、あれほど実感したことはなくって」

ーそうだね。

「ファンの方たちだけじゃない、メンバーにも先輩や後輩にも支えられてた。カウントダウンが終わった直後、藤ヶ谷くんがメールしてくれて。“なんかあったら連絡して来いよ”って。そのひと言に、すごく救われて。7人でのデビュー発表できた直後にも、“どうあれ、よかったなー”って」

ーお母さんも、よろこんだでしょ?

「おかんが大阪から舞台を見に来てくれてて。いちばんに泣かせたろと思って、いるほうに行ったら、もう泣いてて。ダメですね。親の泣き顔はダメです。おかんの前で泣いたことなかったのに、俺のほうが号泣しちゃいました(笑)」

この7人でビビらず、乗り越えます

ー今、改めて7人でのデビューが決まるまでのことをどう思う。

「カウントダウンのことは、人生最大の挫折でしたけど、今はホンマに、あれがあってよかったなって思いますね」

ーしなくていい挫折なら、したくなかったと思わない?

「それすら笑って受け入れたいですね。だって、誰も悪くないし。決して誰も悪くないことを、“あんときは"ってグチりたくもないですし。あれでよかったんです。めっちゃ変な言い方ですけど」

ーじゃあ、これから7人で、どんなグループに成長したい?

「“こいつらジャニーズなん?”って思われるグループになっていきたいですね。たとえば、コント番組を持ってたりとか。せっかくジャニーズって名前をいただいたグループなんで、ジャニーズ代表になるつもりでいきたいです。そのために、今以上に努力せなあかんし、できることの幅も広げていかなきゃいけない。まだまだすることいっぱいです。苦難や逆境も、いっぱい待ってるはずやし。でも、どんなことがあったって、このグループだったら乗り越えられると思うんです。だって、もう、ものすごい壁を一回越えてますから。どんなことが待ち受けてたって、“この7人でビビらず、乗り越えます”って胸を張って言えます」

ーそうだね。じゃあ、個人的な目標は何かある?

「まだ自分で、“俺の立ち位置は?"って考えたら、まったくわかんないんです。照史くんは、誰よりも大きな愛を持ってるし、歌もうまい。淳太くんは頭いいんで、しゃべりでいってほしい。しげはセンターで、ドンとかまえててほしいし、小瀧は、2.5枚目を突き進んでほしい。流星はやっぱビジュアル面、濵ちゃんは癒しキャラ。みんな、グループに必ず必要なポジション、役割がある。だから、俺もメンバーに必要とされる立ち位置を早く見つけたい。ちゃんと役に立ちたいなって思ってますね」

ーもう必要な存在に、なってるよ。

「自分のことは、なかなか自分じゃわかんないんで(笑)」

ー余計なことだけど、いろんなものを背負って来て、重いなって思ったことってない?

「まあ、重いと感じたことがないといったら、ウソになると思うんですけど……。でも、“そんなんムリや"とか言うよりも、ムリしてでも背負って走ろうって思います。道、踏み外したら、絶対に悲しむ人もいるんで。環境や逆境、そんなんを言い訳にしたくないんで。“全部、全部やったろう!"って思ってます。望まれてること、言われてること、全部やったるわって。そのほうがカッコよくないですか(笑)。だから、重いなって思っても、降ろしたいなって思ったことは1回もないですね」

ー最後に、3月にMYOJOの取材で行った、ハワイのこと聞いていい?

「カナヅチの俺が溺れかけて、“まだ死にたない。まだCD出してない"ってなったときのことですか(笑)」

ー助けた濵ちゃんが、「犬かきできない犬みたいだった」って言ってたけど、そのことじゃなくて(笑)。ハレアカラ火山の山頂で願い事をしたけど、教えてくれなかったでしょ?あのとき、何を願ったの?

「うーん、もう忘れちゃいました(笑)」

ー教えてよ。

「うーん、恥ずかしいですけど祈りましたね。“この7人でこれからもずっといっしょにいられますように"って(笑)」

 

「おかんをラクさせたい」と夢に向かって突っ走ってきた。

強すぎる想いはトゲトゲしく、一匹狼に見えたこともあった。

「全部、全部やったろう!」

とっくに腹をくくっていても、折れかけた心。

支えたのは「7人」で背負う新しい夢。

 

 

20150223 MYOJO 4月号 10000字インタビュー全文〜中間淳太〜

俺らがデビューして、笑顔にさせるから

ー2013年大晦日のカウントダウン。ステージでどんなこと考えてた?

「ここにいない3人のこと。ステージに立ってるんだから、笑わなきゃいけないのに、笑えなくて」

ーたしかに笑えてなかったね。

「そして、ファンのこと思ってました」

ーファンのこと?

「また泣かせちゃったなって。それも、ドデカイ泣かし方したなって。ホンマはうれし泣きしてもらうための舞台で、真逆の涙を流させちゃった……」

ーそんなこと考えてたんだ。

「関西jr.のファンって、どんなグループのファンより、たくさん泣いてると思うんです。基本、仕事は夏と冬のコンサートだけ。夏にファンになったjr.が、冬もいるもんやと思ってきたら、ステージにその子がいないなんてしょっちゅうで、“あれ!?”って戸惑って、涙をこらえてるファンの顔、僕らは何度も何度も見てきてる。それは、どんなことよりもツライことで。“ゴメン、あいつやめたんだ。でも、次の夢に向かって歩き出してるよ”って伝えたい。でも、言えない。誰かやめても、それを発表する場すらない。関西jr.を去った人、それを知って涙したコ、いろんな人の、いろんな想いを背負って、“俺らがいつかデビューして、その涙の何倍も笑顔にさせるから”って思いながらやってきたはずなのに……。笑ってもらうためのデビュー発表が、なんでこんな悲しいステージになっちゃったんだって」

なんでも話しますよ。包み隠せないタイプなんで

ーじゃあ、小さいころの話から順にしていこう。

「なんでも話しますよ。包み隠せないタイプなんで(笑)」

ー父方の祖母が台湾の人で、中間くんは、クォーターなんだよね?

「それねえ、2、3年前に知って衝撃やったんですけど、父方の祖父も台湾人だったってことがわかって。つまり、父は台湾人で、僕はハーフなんです」

ーそうなの!?じつはセレブでもなかったとか言い出さないよね?

「そこは大丈夫です。母方のおじいちゃんが会社経営してます(笑)」

ー弟がいるんでしょ?

「3つ下の弟がいますね。全然、覚えてないんですけど、弟ができたことがうれしかったらしくて、母親の荷物を急に持ってあげるようになったり、ベビーカーを押したりしたらしいです」

ーやさしいコだったんだ。

「どうですかねえ。でも基本、今と変わんないんですよね。汚れるのがイヤで、外で遊ぶのが好きじゃなかったし、当時から虫もキライだったし、なんも変わってないです」

ー運動神経が悪いのも?

「ですね(笑)。でも、運動神経が悪いんだって気づいたの、ジャニーズに入ってからですからね。野球大会で、バットを振ったらドームが揺れるくらい笑いが起こって(笑)。“え!?普通に振っただけやけど?”って。まあ、イヤでも気づきますよ。俺は運動できへんコなんやって」

ー小学校は中華学校に通ったんだよね。

「そうです。父親は僕を国際派にしたかったんだと思います。幼稚園から英語も習ってましたし」

ー中国語って話せたの?

「まったく。自己紹介だけどうにか覚えて面接受けて。その学校に小3までいたんで、しゃべれるようになって。算数の授業も中国語だったんで、僕、九九を日本語でできないんです。中国語で覚えたんで」

ー小4で台湾に引っ越ししたんだよね。海外生活、大変じゃなかった?

「向こうの日本人学校に通ったんですけど、楽しかったです。楽しすぎて勉強しなくなって、めっちゃ成績悪くなって。小6のときとか、テストの平均、5点くらいでしたから(笑)」

ーそうなの!?そのころって、将来の夢ってなんだった?

「特には。このまま成長して、おじいちゃんの会社に入ってって感じかなって。芸能界にも興味なくて、ジャニーズも知らなかったし」

おまえ、ビジネス淳太くんやないか

ーでも、台湾jr.のオーディションを受けたんだよね?

「小6やったと思うんですけど、KinKi Kidsさんの台湾でのコンサートが決まって。たまたま母親が買った雑誌に、“台湾jr.募集”って記事があったらしいんです。僕、成績も悪いし、特技もない、ホンマ取柄のないアホのコで。両親が、“なんかやらせな!”ってなったんでしょうね。友だちといっしょに受けることになって」

ーオーディションはどうだった?

「かなりの人数が応募してたんです。僕と友だちだけが日本人だったんで、珍しかったのか、ジャニーさんに“ユーたち日本人なんだ”って声をかけてもらって。それと“日本に帰ったら連絡して”って」

 ーそして、コンサートに出たんだ。

「1曲だけ出番があって。それが初ステージだったんですけど、すっごいおもしろかったんです。それから、日本にいる親戚に、ジャニーズのビデオ送ってもらったりするようになって。ビデオを見て、ひとりでダンス練習して。『Secret Agent Man』とか完コピしました」

ー高校に入学するタイミングで帰国したんだよね?

「はい」

ー受験、大変だったんじゃない?

「平均5点でしたからね(笑)。中3の担任に行きたい高校言ったら“おまえじゃムリ。レベルを落とせ”って言われて。それがめっちゃムカついて、そっから猛勉強したんです。で、受験のため帰国したとき、ジャニーさんに電話して、関西の高校受けるって伝えたら、“じゃあ関西jr.だね”って言われて。雑誌にも出してもらったんです。手越(祐也)くんたちといっしょに撮影して。どうにか志望校に受かって。ちょうど雑誌の発売が合格発表と同じくらいやったんで、受かるはずないって言った担任に“受かりました。あ、あと、これに僕、載ってます”って雑誌を渡して。ヤなヤツでしょ(笑)」

ーじゃあ、高校入学と同時に、関西jr.の活動も始まったんだ。

「最初、なじめなかったんですけどね。ジャニーさんから“みんなと仲良くね。タメ語でいいから”って言われて。誰にも敬語を使わずしゃべってたら嫌われて。ブンちゃん(浜中文一)に、めっちゃ怒られましたもん。“先輩やぞ、なんやねんおまえ!”って。俺アホやから、“同い年やんけ!”って言い返して(笑)」

ーハハハハハ。

「関西ノリも合わなくて。台湾のクラスメイト、東京出身のコばっかりやったから慣れてないんで。普通にしゃべってんのに、“ボケへんのかい!”とかってのがイヤやったんですよ。どうにか少しずつ、仲いいjr.のコができて。濵ちゃん(濵田崇裕)は帰る方向が同じで、よく一緒にいましたね」

ーB.A.D.が結成されたのが、2004年の12月。桐山(照史)くんは、ザ関西ノリな人だよね?

「正直、いちばん苦手なタイプでした(笑)。そのころ照史、ずっごいガツガツしてたし。しかも、ふだんほとんどしゃべりかけてこんくせに、ステージ上だけ“淳太くん、淳太くん”って。“おまえ、ビジネス淳太くんやないか!”って」

ー仲よくなったのは、どのくらい?

「ホントのこと言っていいですか?徐々に仲よくなりましたけど、ホンマにおたがい腹を割って話して、“こういうとこが嫌いやねん”って言い合ったのは、『ごくせん』の時ですね」

ーオソッ!じゃあ、ほかのメンバーは最初、どう見えたの?

「神ちゃんは、俺の1年後くらいに入ってきて。生意気でしたよ。入ってすぐタメ語やったし。俺に似てた。プライドが高い感じも。“俺もこんなんやったんやろうな”って(笑)」

ーその2年後に、重岡(大毅)くん、(藤井)流星くん、(中山)優馬くんが入ってくる。

「流星と優馬は、いきなりエースで。急に来て、急にいい衣装着て、急に俺らより前に出てって感じで。すごいの出てきたなって。しげは最初、あんまり印象なかった(笑)。そのあと入ってきた小瀧(望)は、“なんか、可愛いコが入ってきたな”って感じで」

デビューを決めるのは、僕。見てる人は見てるよ

関ジャニ∞はどんな存在だった?

「最初、怖いんだろうなって思ってたんです。でも、『Magical Summer』って舞台で、内(博貴)くんの代役で急遽、僕が出させてもらって。そっから、みんなとしゃべるようになったんです。その舞台で、僕を知ってくれる人がいっきに増えて」

ー出られてよかったね。

「でも、関西jr.の中で孤立したんですよね。“オイシイ役もらいやがって”とか“関ジャニ∞さんと仲よくして生意気だ”って。事務所には、“中間が調子に乗ってる”みたいに伝わったらしくて、仕事に僕ひとりだけ呼ばれんくなったりとかして。“ちがうねん”って弁解する機会すらなかった」

ーそれはキツイね。

「こんなんやったら、楽しないし、もうやりたないわ。やめたるって思ったんです。そしたら突然、夜中に横山(裕)くんから電話がきて。誰にもやめたいなんて言ってないのに、“やめるのは簡単。でも、逃げるより続けることが大切なんちゃうか”って。いろんなこと朝まで話してくれて。見ててくれたんだってうれしくて、めっちゃ泣きましたね」

ーその電話で踏み止まったんだ。

「はい。横山くんに“おまえも悪いやろ”って言われたんですよね。たしかに僕も悪いとこいっぱいあった。“コイツらとはちがうんや”って気持ち、どっかにあったし。すごく反省して」

ーじゃあ、2008年、『ごくせん』に出たときは?

「悔やみきれないというか、本当に申しわけなかったですね。悩んでた時期で、すごく中途半端な気持ちで撮影に臨んじゃったんで」

ー何を悩んでたの?

「大学3年で、まわりはドンドン就職先が決まって。俺は就職活動すらしてない。“このままでいいのか?やめるなら今なんじゃないのか?”って」

ーたしかに人生を決める大きなタイミングのひとつだよね。

「しかもある人と大ゲンカして。“おまえなんか、絶対デビューできない!”って言われたんですよ。なんか、もう全部がイヤになっちゃって。“デビューできない?知るか!自分からやめてやる!!”ってジャニーさんに電話して、“やめます”って言ったんです」

ー言っちゃったんだ。

「はい。そしたら、すごく引き止めてくれて。“デビューできない”って言われた話もしたら、“デビューを決めるのは僕だからね。見てる人は見てるよ”ってそれが俺のことを見ててくれてるってことなのかわからなかったんですけど、うれしかったんですよね」

ー社長の言葉にも救われたんだね。

「あと、ファンにも支えられました。同じころ、“悩んでいますか?”ってファンレターをいただいて。“私は淳太くんのことを人として好きです。だから、どんな道を進んでも応援します。やめないでとは言わないです”って。思ってくれる人のために、もう二度とやめたいなんて思わないって」

ここで逃げたら、次も逃げるようになる

ーでも、デビューまではまだまだ長かったよね?

「長かったですね」

ーJr.を続けること、両親はなんて?

父親は反対してたし、おじいちゃんは会社を継がせたいと思ってたらしいんですけど、僕に任せてくれてたんです。“好きなようにやり”って。ホンマ、感謝してもしきれないです」

ーでも、望みさえすれば手に入る確実な未来がいくつもあったのに、最も未来が不透明な道を選んだのはなぜ?

「楽しかったから。がんばればがんばったぶんだけ、応援してくれる人が増えてく。僕の夢が、いつのまにかみんなの夢にもなってくっていうか。こんなやりがいがあることって、ほかにないと思って」

ーたしかにそうだね。

「それと、やっぱり意地もあったかな。関西Jr.はみんな、悔しい思いをしてるんですよね。東京Jr.より露出はかなり少ない。まれに東京呼ばれても、入ったばっかりの東京Jr.のうしろで踊らされ、楽屋も俺らだけリハ室みたいな場所だったり。ステージで急に“つないで”ってマイク渡されたりもして。当時、東京に俺らのファンなんておらんから、その瞬間、お客さんがトイレ行くんです。そういうの、めっちゃ悔しくて。生意気ですけど、俺らより上にいるJr.も、デビューしてる先輩も、余裕ブッコいてんなら、全員抜かしたるって思ってました」

ーずっと、悔しかったんだ。

「そういう悔しい瞬間を、関西Jr.、特に照史とは、ずっといっしょにすごしてきたんです。だから意地もあったんですよね、やめなかったのは。それに、もしここで逃げたら、これから何をやっても、また苦しくなったり、不安になったら逃げちゃいそうで、だから、やめるんやったら、ホンマにボロボロに砕けてからやめようって」

ーでも、やめていく仲間もいたね。

「悲しかったですよ。引き止めたいけど、引き止められない。だって、その人の人生やから。B.A.D.、BOYS、Veteranで、B.B.Vって10人グループになったとき、パワーを感じたんです。“この10人で、デビューまで上り詰めたろ!”って。でも、少しずつ目指すベクトルがズレたり、先が見えなくてちがう道を選ぶ人が出てきたり・・・・・・。相談もされたりしたんです。そんなときは、“もし、やめてすぐ僕らがデビューしたとして、残っとけばよかったって思うんやったら残ったほうがいい。そう思わないんやったら、新しく見つけた夢を追いかけるべきや”って言って。でも、そう言いながら、やっぱり仲間が減っていくのは寂しかったな」

ーじゃあ、後輩の7WESTはどんな存在だった?

「あいつらがB.A.D.を意識して、“抜いてやる!”ってメラメラしてんの、すごく伝わってきました」

ーじゃあ、憎たらしかった?

「全然(笑)。可能性を信じきれず、やめてった仲間をいっぱい見てるわけで。でもあいつらは、“絶対デビューしてやる!”ってがむしゃらに上を目指してて。もちろんライバルでもある。だけど、切磋琢磨するのは関西Jr.全体のためにもなる。だから、頼もしかったし、かわいい弟みたいでした。優馬や7WEST全員を、メシに連れてったことがあるんです。鍋と魚の、ちょっといい店で。コースなら足りるだろうなって思ったら、あいつら単品で好きなもんばっか頼みよって。遠慮って言葉を知らない(笑)。優馬なんて、特価って書いてある魚ばっか頼んでましたからね」

ーハハハハハ。

「“おごったる!”って連れてった以上、“もう頼まないで”とかカッコ悪くて言えないじゃないですか。だから、こっそりトイレに行くふりして、店員さんに、“お金これしか持ってないんで、ヤバそうやったらストップって言ってください”ってお願いして(笑)」

ーこのエピソード、セレブキャラが崩壊しない?

「まあ、ぶっちゃけ、お金持ちなんは、おじいちゃんだけやから(笑)」

“おまえは、俺の彼女か!”って

ー関西Jr.の結束が強いのはなぜか、ちょっとわかった気がするよ。

「でもやっぱり、いちばん大きかったのは、初めて西日本ツアーが決まったときだと思うんです」

ー2011年の、あけおめコンで発表されたんだよね。

「そう。発表された瞬間、みんなうれしくて泣いたもん。それまで、“デビューしたい!”って言っても、可能性は1mmもなかった。それが、1cmだったかもしれないけど、初めて前に進めた。関西Jr.の未来に光が差し込んだ初めての瞬間で。あのとき、漠然としたデビューって夢が目標に変わって、関西Jr.がひとつになれたんだと思う。ツアー決定を聞いて、照史と俺、ステージの端と端にいたのに、無意識でおたがいが駆け寄って抱き合ったんですよ。なんか“俺はコイツと、これからもずっとずっといっしょにおるんや”って、確信した瞬間だった」

ーいいエピソードだね。串カツ事件も、いい話なんでしょ?

「誰に聞いたんですか?」

ー濵ちゃんから触りだけ(笑)。

「あいつ(笑)。あれはねえ、2012年の12月ですね。濵ちゃんと何気なく“串カツでも食べて帰ろっか”ってなって。照史はダイエット中だったんで、揚げ物は食べられないだろうから、かわいそうなんで誘わなかったんです。たまたま室(龍太)とブンちゃんがいたんで、いっしょに行こうってなって。そしたら食事中に照史から、メールが来て。“俺だけ呼んでくれないなんて、俺なんかしましたか?”って。もう“えっ!?すねてんの?”って思って。“おまえは、俺の彼女か!”って(笑)」

ーハハハハハ。

「次の日、関西Jr.コンだったんですけど、照史、まだちょっと不機嫌で。ムカついたから、ステージ上で“こんなことがあって”って話したんです。そしたら照史が、“昨日は濵ちゃんの誕生日やったし、B.A.D.の結成8年目の最後の日やったから、淳太くんとお祝いするのかなって思ってたから、ハブられたと思って……”ってえぐえぐ泣くんですよ。で、“やめてしまった仲間もいっぱいおるけど、その人たちの夢や想いも背負ってやってきた仲間だと思ってたから……”って。何を言い出してんだコイツって思ってたはずやのに、あいつの涙見たら、なんか俺も泣けてきちゃって。濵ちゃんに、“今日から9年目やな!”って言われて、照史と俺が泣きじゃくってハグして(笑)。それをメンバー全員、苦笑いしながら見守るというホンマにしょうもない事件です」

ーいや、素敵なエピソードだよ。

「あいつ、今もメンバーの誕生日とか、いちばん気合入れるんです。“プレゼント何買う?何買う?”って。あのガタイと見た目なのに、内面は完全に少女ですからね。誰よりもメンバー想いで、誰よりも関西Jr.のこと考えて、誰よりも繊細で傷つきやすくて。そのくせ悩んでるときとか、平静を装えてると思ってる。“大丈夫か?”って声かけると、“なんでわかるん!”とか真顔で言うんですよ。わかるに決まっとるやろ!すぐわかる。どんだけいっしょにおったと思ってんのって話ですよ(笑)」

正直、デビューとかどうでもええ

ーそしていよいよ2013年、長年夢見たデビューに向け動き始めたよね。

「みんなのインタビュー読んでると、ちょっとポカシてるけど、9月の『ANOTHER』の時点で、“7人デビュー”って事務所から告げられてたんですよ。デビュー曲はどうするかって話もしたし、ジャニーズwestの名前も候補の中にあって。だから、俺らは、“7人でデビューできる!!”ってよろこんで。カウントダウンでデビューするかもしれないってウワサもあったし」

ーそうだったんだ。

「最初、カウントダウンは関西Jr.として出るって言われて。それが直前で、出演がなくなったって言われて。その数日後に、“やっぱり出る。舞台の打ち合わせもするから東京に来て”って連絡が来て。新幹線に乗ったら、なぜか4人しかいない。二転三転してるし、なんかイヤな予感がするじゃないですか。で、東京に着いて打ち合わせが始まっても、誰も何も説明してくれない。らちあかんと思って、僕がスタッフさんに“なんで4人だけなんですか?”って聞いたら、“4人でデビューすることになった”って言われて。もう頭真っ白で」

ーそんなふうに伝えられたんだ。

「はい。もちろん、みんな7人がいいに決まってるけど、状況がわからない。頑なに“7人がいい”って言い張ったら、デビュー自体がなくなる可能性もある。それでも、しげは最初から7人がいいって主張し続けたんですけど」

ー中間くんはどう思った?

「デビューは全員の夢だし、いっしょに目指してくれたファンの夢でもある。だから、デビューがなくなる最悪の事態は避けたくて、うかつなこと言えない。事務所の話をまず聞こうと思って」

ーなるほど。

「事務所は、4人のほうが早く世間に顔を知ってもらえるって言うんです。それでも、“7の可能性は、もうないんですか?”って聞いたら、もし7人にするなら、4人のうしろにくっつける形になるって」

ー4+3的な形になると。

「俺、それはホンマにイヤやったんです。濵ちゃん、神ちゃん、流星、俺にできなくて、3人にできることがいっぱいある。なのに、そんな3人を後ろにするのはイヤやった。それじゃあ売れる気もないし。俺らの魅力って、7人横並びじゃないと発揮できないって俺は思うんです。だから、それには反対したんです」

ー7人がいいけど、4+3に見えるなら4人のデビューのほうがいいと?

「はい。事務所から、“3人には俳優をしながら、グループとして活動させるビジョンがある”って言われたんで。僕が言うのは本当に生意気ですよ、でも、3人が努力したぶんだけ、がんばったぶんだけ役者として評価してもらえる環境を与えていただけるなら、そして、おたがい、大きくなったタイミングで7人グループになれるなら。……衣装に格差ついたり、立ち位置や、歌割に差がつく……そんなんやったら4がいいって。結局、しげみたいに最初からずっと7にこだわる意見と、俺みたいに条件次第で4でもって意見で、グループ内でも意見がまとまんなかったんです。でも、デビューの話をなくさないためには、カウントダウンで発表するしかないよってなって」

ーそして、あの発表になったんだ。

「はい。カウントダウンが終わっても、4人で話して。しげとはホテルの部屋が同じやったんで、ふたりでずっと朝まで話して」

ーその後、あけおめコンのリハのために関西に戻ったんだよね。

「リハ。最悪の雰囲気で。地獄でした。3人とはひと言も話せなくて……。家に帰って、4人でのデビューが、3人のためにも正しい選択だって自分に言い聞かせたけど、なぜか胸のモヤモヤは消えなくて。そしたら、濵ちゃんから電話がきたんです」

ーなんて?

「“いつもみたいにしゃべってよ”って。俺は、“ゴメン。どうしていいかわからんかった”って謝って。そしたら、濵ちゃんが言ったんです。“俺は、みんなとおるのが楽しい。今まで通りの関係でみんなとおれるなら、俺は、それだけでええ。正直、デビューとかどうでもええ”って」

ーそんなこと言ったんだ?

「それを聞いた瞬間、モヤモヤが全部吹っ飛んだんです。“俺もそうや”って。4+3に見えるくらいなら4でって思ってた。それがおたがいのためだって。でも、ちがう。そんな理屈じゃない。俺も7人でいっしょにいたいんやって。濵ちゃんのひと言で本当の気持ちに気づけて。そっから僕は、“7人でお願いします”って事務所に伝えて」

ーそれを伝えるのは、デビュー自体がなくなるリスクもあったんだよね?

「怖かったけど、楽しくないデビューなんて、誰かの涙や犠牲でできたデビューなんて意味ないから」

ーそして2月5日、本当に7人でのデビューにたどり着いたんだ。

「『なにわ侍』のリハを7人で始めた時点で、“7人でデビューだ”って気づいて。だから舞台の初日までが、めっちゃ長く感じて、待ち遠しくて。ファンに言葉にはできないけど、“いいから信じろ。絶対、笑顔にさすから信じてくれ”って、ずっと胸の中で叫んでました」

ー2月5日、舞台から見えたのは、どんな光景だった?

「待たしちゃったし、いろいろあったし、なのにみんな祝ってくれて。ファンが泣いてくれたのがうれしくて。絶対、忘れられない最高の光景でした」

ーファンの人にとっても、忘れられないだろうね。

「デビューしてからラジオで僕らのファンの呼び方募集して。“ジャスミン”に決まったんですね。ジャスミンって、花もかわいいし、語感もキレイじゃないですか。しかも、花言葉のひとつが“あなたについていく”なんです。こんなに待たせて、こんなに泣かせて……。それでもついてきてくれたファンの呼び方がジャスミンって、奇跡みたいにピッタリだなって、本当にうれしくて」

あの日のことを話すのは、これで最後

ーメンバーだけじゃない。ファンも含めた全員があきらめなかったから、7人のデビューにつながったんだろうね。

「でも俺は、しげとか照史みたいに、“7人で”って最初からは動かんかったから、7に決まった瞬間から、今度は誰よりも動こう、貢献せなと思って」

ー決まってから?

「はい。もう、事務所の人に嫌われるくらい、“7人は横並びでお願いします”って、いろんな人に頭を下げにいって。いろんな人と話して。仕事のジャンルも増やしたいから、村上(信五)くんにいろいろ相談したりもして。それでも最初のころの歌割は、4人のほうが多かったかもしれないですけど、最近はほとんどなくなってきて」

ーそんなことしてたんだ。

「最初、衣装も3人だけ装飾がなかったり、流星だけ金色が少なめとかあったんです。衣装さんに頭を下げて、“少なめにするなら、もう真っ黒にして、まったく別物にして目立たせてください”って。ほかにも、神ちゃんが“衣装に帽子をつけたい”って言ったけど、それはナシでって事務所に言われたんですけど、神ちゃんが望むなら絶対にかぶらせたいって思って。俺、帽子似合わんけど、“僕、かぶります”って言って。そしたら、神ちゃんの帽子もオッケーになるんで」

ーそんな意図を持って行動してたこと、メンバーは知ってるの?

「みんなには言ってないです。言いたくもないし、知られなくていいし」

ーじゃあ最後に、これからの目標を教えてよ。

「7人、それぞれちがうから、それぞれが適した場所で活躍していきたい。そしたら、人の目に触れる機会も増えるし、グループとしても成長できる。でも、なんて言えばいいんだろう。それぞれが楽しむことがいちばん大事かなって。楽しめば楽しむほど、いろんなものが生まれるグループだと思うんで。だから、このままでいい、このままを続けていけばいいと思う。そのかわり絶対、初心を忘れちゃいけない。ブレそうになったり、サボったり、まちがった道を進みそうになったメンバーがいたら、俺が怒る。でもホンマ、楽しめば、この7人には明るい未来が待ってるって信じてる」

ーそうだね。これで終わるけど、ぶっちゃけすぎちゃったんじゃない?

「包み隠せないって最初に言ったじゃないですか(笑)。それに、みんな、知りたいでしょ!?まだモヤモヤが残ってるコもおるでしょ?“ホントのことどうだったの?”って。俺ら7人は、もうとっくに前を向いて走り出してる。だからファンにも、なんなら、もともと7だったって気持ちでいてほしい。あの日のこと、簡単に忘れられへんかもしれないですけど、ずっと胸のつかえにはしてほしくない。僕ら7人も、もう忘れたっていうか、そんなんもあったなくらいの気持ちだから。だから、今日全部しゃべって、あの日々のことを話すのは、最後にしようって。昔話は終わり。これからは、新しい物語を紡ぐんです、7人みんなで。ジャスミンとみんなで」

 

長い道のりの途中で、たくさんの涙に胸を痛めた。

「絶対に笑顔にさせるから」と心に誓っても、何度もくじけそうになった。

そんなとき、いつも誰かが支えてくれて、仲間を支える今がある。

さあ「新しい物語を紡ぐ」から この道をあなたについてきてほしい。