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20140823 MYOJO 10月号 10000字インタビュー全文〜桐山照史〜

4人でやっていこうって一度は腹をくくりました

ー大晦日のカウントダウンコンサートで、一度は(中間)淳太くん、重岡(大毅)くん、小瀧(望)くん、桐山(照史)くんの4人でデビュー発表。複雑な心境だったんじゃない?

「もちろん、7人がいいってずっと思ってました。……でも、この言葉を、どう受け取ってもらえるかわからないですけど、僕は一度は“4人でやっていこう”って腹をくくりました」

 ーそうだったんだ。

「濵ちゃん(濵田崇裕)、神ちゃん(神山智洋)、(藤井)流星……。3人がいたほうがいいに決まってる。でも、俺らが“入れたい”って言うのはおかしいんじゃないかって。“デビューって、そんな簡単に決められるものなの?”って。そんなん言い出したら、関西jr.には、ほかのメンバーもおる。がんばらなかったヤツなんて、ひとりもおらん。みんな思いますよね。“じゃあ、俺も入れてよ”って」

ーたしかにそうだね。

「めっちゃ悩みましたね。でも、この世界のいろんなノウハウを持ってる事務所が、べストな形はこの4人だと決められたなら、なんの知識も経験もない僕らが、感情だけで人数に関して口を出すことは甘いんじゃないかって。デビューって、そんなに軽いものじゃない。4人でやるって決まった以上、“もし7人だったら”なんて逃げ道を作ったら、絶対うまくいかない。だから、カウントダウンのとき、僕は“この4人でデビューなんだ”って、腹をくくったんです」

“絶対に芸能界に入る”って決めてました

ーじゃあ、デビューに至るまでを、さかのぼって聞いていくよ。誕生日、8月31日だよね。

「そうなんですよ。夏休みの最後の日。うれしいやら悲しいやら。なんで、そんな日なんやって。オカン、もう1日、ガマンしてくれって話ですよ(笑)」

ー“照史”って漢字、珍しいよね。

「“てるし”とか“てるふみ”ってよく呼ばれてました。でも、人とちがうう読み方ってのが気に入ってます。最近、うれしかったのが、“きりやまあきと”ってケータイに入れると、一発で変換されるんです。デビューしたんだって実感しますね」

ー小さいころ、どんなコだったの?

「ヤンチャでしたね。お兄ちゃんが4つ上なんですけど、ようケンカして。あと、ずる賢かった(笑)。カップラーメンが好きだったんですけど、ふだんはオカンがごはん作ってくれるんで、土曜の昼しか食べられなくて。でも、食べたいじゃないですか。フツーに“食べたい”って言ってもダメなんで、先にフタを開けて、“開けちゃったんやけど、食べていい?”って聞きに行くっていう(笑)。それと、ちっちゃいときから、人前でしゃべったり、歌ったり、踊ったりしてたんですよ。近所のガレージをステージにして」

ーかなり早いタイミングでダンスを習い始めたんだよね?

「保育園を卒園する前くらいに、オカンに“ダンスやミュージカルを教える教室があるけど?”って聞かれて、“やる!”って即答したんです」

ダンスに興味があったんだ?

「ないない。“ダンス!?それ美味しい?”くらいな感じ(笑)。でも、“人とちがうことができる!”って思ったんですよね」

ー 人とちがうことがしたかったんだ。

「変わってたっていうか、人が少ないほう、少ないほうに行きたかったっていうか。単に目立ちたいだけっていうか(笑)。サッカーもやってたことがあるんですけど、流行りで人数が多かったんです。もう、どうやってサボるかってことしか考えてなかったですね」

ダンスはサボらなかった?

「1回も休んだことないです。楽しかったから。最初は全然踊れなくて。でも、今もそうなんですけど、“できひん”って思ったら楽しくなるんですよ。落ち込んじゃうんじゃなくて、“絶対、できるようになってやる!!”って。自分ができないことが、意味がわからないっていうか、許せないっていうか」

ーそのころ、夢ってあった?

「3年生くらいには、“絶対に芸能界に入る”って決めてました。火がついた瞬間があるんですけど、担任の先生に“SMAPに入りたい”って言ったんです。そしたら、“照史じゃムリだよ~”って、冗談っぽくはぐらかされて。僕は真剣だったからカチーンときて。“絶対なったる!”って。だから、芸能界に入りたいとか、入れたらとかじゃなくて“入る!”って、その瞬間に決めたんです。今、その先生に本当に感謝してて。導火線に火をつけてくれたから」

ーそうだね。

「当時好きやったんがSMAPさんとKinKi Kidsさんで。頭おかしいんですけど、KinKi Kidsの3人目になって踊ってる夢とか、よう見てました。なぜかコンサートしてるのは、近所のガレージなんですけどね(笑)」

ーちなみに、夢の中で桐山くんのポジションは?

「俺、真ん中です(笑)」

ーだから、ひとりでごはん食べるのも好きじゃなかったんだ。

「はい。あのころは、とくに不安定で。関西jr.を盛り上げられず申しわけないって思いが強くて、だけど自分じゃない誰かが、呼ばれる仕事があったりすると、“やっぱ俺じゃダメなんだ”って、自分を追い込んじゃう。でも、桐山照史という人間は、笑ってなきゃいけないって思い込んで、人前では笑い続けて。そんなこと思ってること、誰にも言えなかったですけどね」

ー支えてくれる人、いた?

「どうしたらいいのかわからなくなって一度、安田(章大)くんに相談したことがあって。そしたら言われたんです。“他人の幸せをよろこんであげられる人間になりなさい”って。その言葉に救われましたね。いろんなことがフラッシュバックしたんですよ。俺は、誰かの仕事が決まると不満だったりもした。でも、関西jr.のメンバーは、僕がドラマに出たりすると応援し続けてくれた。“がんばってな!がんばってな!”って」

ー支えられてたことに気づいたんだ。

「僕は、関西Jr.を引っ張ってたんじゃない。ずっと支えられてた。ひとりでガツガツ行ってるように見えたかもしれない。でも、それができるのは、関西Jr.のメンバーがいてくれたから。バーッて走って勝手にコケても、後ろで支えてくれるメンバーがいたから。さっき、関西は東京に比べて不利みたいなこと言いましたけど、デメリットって見方を変えればメリットで。先輩のバックにつけない分、関西Jr.は、それだけいっしょにいる時間も長い。マネージャーさんも、頻繁に来れるわけじゃないから、後輩が遅刻したりしたら、先輩がちゃんと怒ったりもする。つながりがより深いというか。みんなで支え合う。もう関西Jr.で、ひとつの家族みたいなもんです」

ーじゃあ、関西Jr.だった(中山)優馬くんについては、どう思ってた?

「もうね、入って来てすぐ優馬は見えてました。デビューが。自分の子どもながらに(笑)。“こいつは行くな”って。だから、悔しいって感情が芽生えるはずなのに、そうじゃなかったんですよね。それに、簡単にデビューしたって見えたかもしれないですけど、まわりから見えるより、優馬は優馬で大変やったと思います」

その答えを聞いて、心は決まった

ー2011年には、Sexy Zoneと、A.B.C-Zのデビューが決まったよね。

「そこ、いちばん“やばいな”って思いましたね。次にデビューするグループって、見えるって言われてるんですよ。“キスマイの次は、関西Jr.ちゃうか?”って、すっごい言われてて。でも、俺らじゃなかった。また、まわりの期待に応えられなかったって」

ーやめようと思った3度目が、2013年の5月って言ってたよね。

「はい。淳太くんと濵ちゃんと3人でジャニーさんに“デビューしたいです”って伝えにいこうって話し合ったんです。“ここで言ってムリなら、もうデビューはないで”って。気持ちを伝えてもムリやったら、やめようって考えてたんで。こんだけムリやったんなら、ムリなんやろうなって」

ー社長に何て言われたの?

「“大変だよ”って、素っ気なかったですね」

ー覚悟を持って直談判したけど、想いは届かなかったんだ。

「でも、翌日、レコード会社に連絡を取ってくれたんです。デビューに向けて、動き出してくれた。その後も、何度も話し合って。俺はグループ名にジャニーズってついたグループって実はないんで、“ジャニーズってつけるのはどうですか?”って言ったら、“いいね”って言われたり。ジャニーさんが“グループ名、7WESTってどう?”って言うんで、“いや、それもうあるで”とか(笑)。そんな会話があったんで、僕は7人でデビューできると思い込んじゃって。年末に“4人で”ってことを伝えられえて……」

ーそれで、一度は腹をくくったんだ。

「はい」

ーきついこと言うけど、その決断は残酷だったんじゃない?

「そうですね。残酷だと思います。4人で何度も話し合ったけど、とくに、しげ(重岡)は最後まで7人ってことにこだわってましたし」

ーそうだったんだ。

「僕、初めて4人って言われたとき、泣きそうになってタッキー(滝沢秀明)に電話したんです。“7って思ってたんですけど……”って。そしたら、“おまえはどうしたい?”って聞かれて。“7でやりたいです”って答えたら、“これからおまえのひと言ひと言で、グループは大きく変わる。3人の人生も大きく変わる”って言われて。その通りだなって、余計悩んじゃって。もしも3人が追加されて7人になっても、それは3人にとっていいことなのか、わかんない」

ーそうかな?

「だって、追加されて4+3みたいな形になったら……。それに、次にチャンスが巡ってくるかもしれないのに、無理矢理くっつけて、3人の人生を弄ぶようなことになるかもしれない……。めっちゃ悩んで……。それでもやっぱ7人がよくて。ジャニーさんに電話したんです。留守電だったんで“7人でがんばってみたいです”ってメッセージを残して。でも、次に呼ばれたときも、4人ってなってて。想いを伝えても7じゃなかった。これは腹くくらなあかんのかなって。選ばれた4人も、動揺してたんで、もう迷っちゃダメだって自分に言い聞かせて、“後ろ振り返らんとこ”って言ったんです。それは、切り捨てたんじゃなくて、このままずっと人数に関して引っかかってしまうんであれば、この4人にも未来はないから。7人がいいのは当たり前。でも、ここまできたら、それは酷やけど、今、やれることを全力でやろって。引きずらずにやろって。留守電のことは伝えてないんで、ほかの3人からしたら“なんで、もう腹くくってんの?”“冷たすぎない?”って思ったかもしれないですけど。それで、カウントダウンを迎えて」

ー選ばれなかった3人とは、何か話した?

 「1月4日にコンサートがあって、顔を合わせたんですけど、めっちゃきつかったです。でも、俺らより、3人のほうがぜったいきつい。7人だけじゃない。ほかの関西Jr.もきつい。俺らが、“ごめん”って言うのはちがうし、フツーに接するのがいちばんだと思ったんですけど、フツーにはできなかったですね」

ーそれから7人になった経緯って?

「コンサートでいっしょにステージに立つと、家族みたいなものやし、しっくりくるんです。3人には、俺らにないもんいっぱいあるし。絶対7人だったら成功するって思えて。コンサート後、メンバー全員に連絡して。“そうはしたくない、でももし、3人が追加されたとして、俺らのバックみたいに見えてしまうことがあるかもしれない。4と3みたいに見えてしまうかもしれない。それでもいいの?”って」

ーみんな、なんて答えたの?

「全員、“それでもいい”って。僕は人数のことに関して、めっちゃ悩んだし、どう自分が動けばいいのかわからず無力さも感じた。1コまちがえると、いろんな人を悲しませてしまうから。でも、その答えを聞いて、心は決まって。ジャニーさんに、もっかい電話して、初めて自分の口から“7人でいきたい”って直接伝えたんです。そしたら、“自分だちで決めたんだから、責任を持って、ちゃんとやるんだよ”って言われたんです」

この7人やから、晴れたんやろうな

ー今、振り返って、デビュー前の一連のできごとをどう思う?

「俺ら4人の力で、7人になったとは思ってないというか。ジャニーさんは、デビューって発表してからも、“4がいい?7がいい?”って聞いてくれてたんです。ずっと決めかねてたんだと思うんですよね」

ー7人での活動、不安はない?

「芸能界のイロハとかノウハウからしたら、4人がよかったのかもしれないんやろうけど……。でも、そんなことどうでもいいやって。そういうことじゃないやんって。4人が正解だとしてもモヤモヤが残るんなら、成功するか、失敗するかわからん、それでも、この7人で失敗するなら、それが本望やと。もちろん、この7人だったら、絶対に失敗しない自信がありますけどね。ただ、俺が一度、腹をくくったのは事実で。3人があきらめないでいてくれたから、7人になれたんだと思うんです」

ーなるほど。

「それと、7人でスタートを切ったからには、4+3じゃない。7人、横並び。ここからは目立ったもん勝ちです」

ーファンをこんなに不安にさせたグループも珍しいよね。

「ですね(笑)。だからこそ、売れたいです。この7人で。こっから俺らが、どんだけできるかが、恩返しにつながるはずだから。まだ全国区にもなれたとも思ってないし、ここからですけどね。“よーい、ドン!”ってピストルが鳴って、まだ右足を上げただけ。まだまだまだまだ。これからです」

ー最後に、この7人でよかったって、いちばん強く思った瞬間っていつ?

「いちばんは、今年の3月にハワイに行ったときですね。3000mを超える山の頂上で、夕陽をバックに7人で撮影することになったんですけど、すっげー土砂降りで(笑)。もう絶対、ムリみたいな。でも、夕陽がいちばんきれいな瞬間、一瞬だけ雨雲が切れて。夕陽が顔を出して、空がキレイにピンクに染まったんです。あの夕陽を7人で見たとき思いました。この7人やから晴れたんやろうな。この7人で、よかったなって」

 

「いかつい」見た目のウラに 「ビビリ」な体がいた。

おしゃべりな笑顔のウラで「期待に応えられなかった」と悔やんだことがあった。

「腹をくくった」デビュー発表。歓喜の表情のウラに複雑な想いを抱えていた。

今の笑顔のウラには絶対的な「自信」しかない。「この7人やから」こそ。